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わたし、ではなく、わたしたち、な、わけ

自分は、ボーっとしているタイプなので、家人がなんか言ってても、ぜんぜん耳に入ってこないことが、まま、ある。

聖徳太子なんて、いっぺんに10人の声を聞き分けられた、って言うから、スゴイよね。ひとりでも難しいのに。。。

スウィフトの『ガリバー旅行記』には、空飛ぶ巨大な島「ラピュタ」が登場するけど、ラピュタの住人たちは、いつも考え事をしているので、時々正気に戻らせるために、頭を棒で叩いてくれる「叩き役」を連れている。それって、座禅のときパシッって叩く、警覚(けいかく)みたいなもんかねー。

そいうことを考えると、ほんと、神様って、すごいなあ、と思う。だって、世界中、いや、宇宙中の「祈っているひとたち」(ひと、じゃない存在も、当然いると思うけど)の祈りを、ぜーんぶ漏らさず聞き取って、応えてくれるんだから。やっぱり、神は、神だ。

今日の聖書の言葉。

日の昇るところから日の沈むところまで
主の御名が賛美されるように。
詩編 113:3 新共同訳

最近、『教会の祈り』(時課)を英語で祈ることが出来る iPhone アプリ「Divine Office」というのを使っている。

就寝前の祈り(Night Prayer)にタイマーをセットしていて、定刻になると「カーンッ」って、鐘楼の音が iPhone から流れる。アプリを起動すると、時課の音声がダウンロードされて、英語のお祈りがはじまるんだ。

これには、現在このアプリを使って世界で何人が祈っているのか、地球儀に表示される機能がある。

いま、ちょっと開いて見たら、86人が祈っているって。。。

うーむ。。。世界24億人のクリスチャンのうち86人しか使っていないんだから、このアプリ、ほとんど使われていない、といっても過言ではないかもしれない(笑)

これが、その地球儀。86 now in prayer (86人お祈り中) とある。

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地球儀で光っている点が、いま、このアプリを使って祈っているひと。東京に1個だけ光っているのは、たぶん、自分だ。

地球をグリグリ回しながら、拡大して見ることもできるよ。

日の昇るところから日の沈むところまで
主の御名が賛美されるように

まあ、人数は少ないかもしれないけど、この地球儀を見ると、確かに、いま朝を迎えようとしている「日の昇るところ」から、夕日を見つめる「日の沈むところ」まで、主の名を呼び、祈り、賛美をささげているひとが、確かに存在していて、地球は祈りの鎖でグルッと一周、結ばれているんだなー、と感じる。

もし、神様視点で、祈っているひとを見たら、このアプリのように見えるんだろうか? それとも、神様にとっては、すべての祈りが、目玉が対象にくっつくぐらい超接近ばかりで、遠距離の俯瞰とかは無いのか。。。

ひとり、ひとり、超接近で見ながら、しかも、ぜーんぶ同時に受け止めて、応えていく、って、やっぱり、神様にしかできないことだよね。。。

自分は孤独だ、と思う瞬間が、無いわけではないけれど。。。でも、「ひとりで祈る」って、基本、あり得ないことなんだよね。。。ひとりで祈っている、と思ってたとしても、同じ瞬間に世界中で祈っているひとたちと、神を通じて結ばれているんだから。

だから、主の祈りを言うとき、わたし、ではなく、「わたしたち」って祈るんだと思う。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

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