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リハビリテーションについて考える

 ちょっと考えてほしい。リハビリテーションの意味を。

 リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)、すなわち「再び適した状態になること」「本来あるべき状態への回復」などの意味を持つ。他に「権利の回復、復権」「犯罪者の社会復帰」などからの意味合いがある。
 【WHO(世界保健機関)による定義 1981年】
 リハビリテーションは、能力低下やその状態を改善し、障害者の社会的統合を達成するためのあらゆる手段を含んでいる。障害者が環境に適応するための訓練を行うばかりでなく、障害者の社会的統合を促す全体として環境や社会に手を加えることも目的とする。
 【内容】
 日本では、リハビリテーションは病気や外傷が原因で心・身の機能と構造の障害と生活上の支障が生じたときに、個人とその人が生活する環境を対象に、多数専門職種が連携して問題の解決を支援する総合的アプローチの総体をいう。医療とその関係分野の専門職が行うリハビリテーションを医学的リハビリテーションと呼ぶが、教育分野、職業分野、社会福祉分野で行われるアプローチも医学的リハビリテーション以上に重要である。(Wikipedia)
【分類】
(1)医学的リハビリテーション
(2)職業リハビリテーション
(3)社会リハビリテーション
(4)教育リハビリテーション
(5)リハビリテーション工学(参加支援工学)
 リハビリテーションに対する工学的アプローチを一般的にリハビリテーション工学または参加支援工学といいます。具体的には、義肢装具、コミュニケーション機器、環境制御装置、住宅改造、建築及び交通機関等のバリアフリー等における工学的な支援が対象になります。

 とある。【分類】での(1)~(4)の詳細については下記を参照してください。

https://www.jsrpd.jp/rehabilitation/purpose/

 僕の経験上での「リハビリ」を考えてみると、

①機能訓練
 衰えていた部分を「再びできるようにする」ことなので、僕もこの考えには異論はない。そこには、専門職による支援が出てくる。計画を立てて、どこを訓練するのか。また、残存している機能でどう「できるように」するのかも大切。
 ここで一つ。
 リハビリテーションは『できていたことが、できなくなってしまった場合に』使われる。というと、生まれつきの障がい者では『できる』ことが分からないかもしれない。できる感覚が不十分で「できるようにしましょう」でいいのか。「動くようにしましょう」の方がいいのかもしれない。 

②社会復帰
 「再びできるようにする」中に、入院や入所していた方が社会に出ることや、「仕事」ができるように支援していくことも含んでいると思います。職業訓練だけでなく、コミュニケーション訓練や生活訓練も含みます。
 でも、社会を全く知らない人に対してゼロから支援するのは難しい。

③痛みの軽減
 身体障がい者では、同じ姿勢でいることで、骨や関節に痛みが出てくる。そこで、筋肉を揉みほぐし、痛みを軽減する。身体の痛みだけでなく、心の痛みも取り除くことも含んでいいかな。
 それって、マッサージじゃないの?

④レクリエーション
 このことは、どう思うだろうか?
 例えば、高齢者のデイサービスで「塗り絵」をしている場合を考えてみる。
 遊びの一つとしての「レクリエーション」なのか。
 指の運動としての「リハビリテーション」なのか。
 誰の視点かを考えてみると、計画を立てる人の視点と利用する人の視点で変わってくる。
 少しでもできるところを増やそうと思うか、楽しんでもらおうと思うか。リハビリテーションがレクリエーションみたいに楽しくできるように誰でも工夫をしている。
 ただ、全ての人に同じように「楽しい」と思わせるのは難しいけどね。

 リハビリテーションを行う中での利用者としての思いはどこにあるのか。出来たほうがいいのは間違いないが、出来たからと言って、誰かが褒めてくれるのか。
 デイの職員やリハビリの先生はもちろん褒めてくれる。ただ、家族はどうだろう。デイサービス事業所からの記録や、計画書(モニタリング)を見て、どんなリハビリを行い、どこまで良くなったのかを知る。でも、褒めたとしても、家族としての接し方は変わらない。


 僕としては、介護保険法や障害者総合支援法でのサービス内容は、考えようによっては「行って、帰ってくるまですべての行為がリハビリ」とも思える。
 朝の準備、送迎車への乗降、あいさつ、服の着脱、入浴、食事、個別訓練、集団訓練、水分補給、トイレ、コミュニケーションなど・・・

 家でもやるの?

 本人もそんなつもりはないはずだが、リハビリテーション計画に組み込まれている。ケアプランにも書かれている。
 リハビリをして「◯◯ができるようになる」という目標を立てて、達成できて、介護度が「改善」できたとする。それは、だれのために「改善」したのか、も気になる。様々なところで言われているから今更ではあるけれど、「改善」=「介護の必要なし」となることもあり、通所できる日数が減るかもしれない。
 また、「自宅でもできるリハビリを」として教えてもらっていることを、しっかり自宅でもできれば、通所サービスに来ることはない。その分、サービス費用は抑えられていいのかもしれないが、家族の負担や心配事も増えてくる。本人は知り合いやスタッフに会う機会が減ることをどう思うのだろう。

 リハビリは、本人だけ頑張ればいいのではない。デイの職員、リハビリの職員、家族、医師などで協働作業である。本人のやる気が無くなれば、チームとして支える。
 でもまずは、本人の「痛み」を、「できなくなってしまった苦しみ」を理解することが必要だと思います。

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