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数年前に自分が書いた記事の内容を忘れていた話。

こないだですね、noteの通知を久しぶりにのぞいてみたのですよ。
そしたら、見覚えあんまりないような記事タイトルにスキのハートつけてくださっていたみたいなんすよね。
んで、その記事を自分で読み返してみたんすよ。
見事に内容を忘れていました。
書いたことすら、忘れていた。
一介のブロガーなだけの私ですら、そうです。
記事大量に書きすぎてて、あのときのあの内容って言われましても、?ってなるのです。
めちゃくちゃ思い出すのに時間かかるので、たぶん、調べてその記事をもう一度読んだ方が話が早いくらいなんですよね。
そんなものですから、昔の記事を読み返すと懐かしいとか恥ずかしいとか今はこうはかけないなーとか、今このテーマ興味ねーなーとか、そんなものでして。
ええんか悪いんか知りませんけど、WEB記事って、基本的には、作者アカウントから記事の再編集がなんどでもできるんすよね。
そんで、たまーに気が向いたら、過去の記事をリライトをするようには心がけているのですが、なんせ、新しい記事を書く方がですね、めちゃくちゃ楽なんです。
だけども、過去の記事……あいつ放置するとですね、めちゃくちゃ恥ずかしい黒歴史を全世界に24時間営業でいつでも読めてしまえる状態をつくるんすね。
いやぁ、そんときはそれが私のベストアンサー!くらいキメキメの気分で書いてるんですけどね、後から読むと、なんでこんな初歩的ミスしてるのだーとか、誤字脱字多すぎ!とか、うわぁ、後からこれ間違ってるとわかったやつやん!とか、いろいろとね、黒歴史出てくるんすよ。

だからね、あのープロの作家の皆さんや学者の皆さんが書いた、論文の研究内容ですとか、出版された本の内容ですとか、意外と書いたご本人って内容忘れてらっしゃるんじゃないんすかねぇ……。
たとえ、それを書いて出して食ってきたすげぇ人らでも、書いて出してからしばらく経つと、自分自身で何書いたのか、さっぱりわかんないというのが当たり前なんではないかなーと。
それで、SNSの時代になって、作者と直接つながれる世界となると、容赦なく本の内容についての感想をぶつけられ続けちゃうんで、一方的に書いて出せば良かった時代とちがって、売れっ子になればなるほど、メンタル弱るんすよね。
んで、なんも言えなくなるんす。
本人からすれば、もう黙るのが得策やわってなるのです。
だいたいの場合、ほとんどの売ってる本は、作者的には、仕事の依頼の締め切りまでに書かなきゃ!しか考えてなかったりするんすよね。それとか、ノルマノルマ!とか、ノルマから逃げてぇという現実逃避で、締め切り近いというのに、お仕事の依頼内容とはまーったく関係のない、遊んでる文章書いてるという末期症状まであります。
あのですね、締め切りがあって、定期的に書いて出さなきゃいけないときの文章って、自由に思いついたときに書いた文章とちがいがありましてね、書いた本人が伝えたいから書いた内容じゃなくて、仕事先の依頼人の意向にあわせたよいしょ記事的な内容もかなーり含まれているものなんです。

これは、ゼロから心の声をもとに創作する作家さんはもちろんそうですが、学術研究をして、統計学的な追跡調査をして客観的な研究をしているハズの大学ですら、締め切りまでに結果を出せなかったり仕事遅れそうとか研究費を出してくれるスポンサーの意向ですとか、そういう大人の都合で研究結果を歪ませちゃうこともわりとありえるんですよ……逆に言うと、コイツがこのタイミングでこの研究結果を発表されたら困るねんって人がスポンサーだと、研究結果を出した事実すら、隠蔽しようとか間違っていたことにしようと正しい内容をだした研究者側がおとしめられることが多々あるわけですね。
それで、いつも毎日新しい論文が出来上がってて、それが別のところで精査されて、再現されるかどうか実験して、立証していったものが確かそうやなぁ、という話なんです。
わりとあれ、政治的です。

でも、世の中の変化の方が早いものだったりするので、研究内容によっては、研究対象そのものが、変化していて、どんなに追跡調査を繰り返しても、いま最新の研究としては追いついていってない、という状態にもなっちゃうんすよね。

たとえば、ゲームの人への影響力の研究、こういうのって、買えば手元にずっと残ってくれて何度も同じゲーム内容を再生するゲームから、今だけしか存在せず、追加アイテムの課金の売上高が売れなくなったときにゲームタイトルごとトンズラして消えてしまうオンラインソーシャルゲームへ、ゲームそのもののカタチが変化したら、それもまた脳みそへの影響のカタチも変化している可能性はありまして、仮設立証できたハズのものも、実は新しい論文では、否定されてて、ひっくり返っている事実がまた新たに立証されている、なんてことも往々にしてある世界でして、だから常に興味を持って勉強し続ける必要がある世界なんですよ、研究者という仕事。
もっと言えば、これは根拠があって正しいなんて信じ込んではいけないんです。

だから、新しい論文では、ひっくり返っているかも、明日も同じことはないのかも、と常に言うてることが変わっちゃう人って、なかなか信じきれんものかもしれませんけど、今現在においての正しいこと言うていたりするのは、わりとひっくり返す方のほうだったりはします。常に興味を持って専門家としてアンテナ張り続けて生きていくと、どうしてもそうなるので。

ただね、これ……
年配の方からみれば、かわいくはないんだろうなーと思ってしまうんすよね。
なぜなら、大学はすごい!という憧れを持って生きてきた世代の方々なので、大学は所詮、こんなもんだよという、王様は裸やでー的な話は夢がさめるというか、興冷めするよなぁと。まぁ、だから中々言えなくもなるんすけども。

研究費出してくれるスポンサーって、別に国である必要はなくて、国が研究費出すということは、国の意向によっては、研究内容を表に出せなくなってしまうこともあるし、企業がスポンサーなら企業の都合が出てくるし、めちゃくちゃ大金持ちな個人一人がスポンサーだと、個人の好みで偏るのです。
研究がそうであってはならないというのも、わかるんすけどね。理想と現実は違うものです。

そうなると、いちばん歪みが少ない研究のあり方って、大衆から自分自身で研究したいことをアピールして予算取ってきて、研究するというスタイルなわけなのですが、いかんせん、研究そのものって、別に誰もやらなくても、すぐに誰かが明日死ぬような性質のものではないんすよね。食料品とか家の建築のようなモノと比べるとという、わりと極端な比較ではあるのですけども。
より良い生活になっていくために、犠牲になる人の数が最終的には減るかもしれないから、ムダなゴミになるリスクがあっても、基礎研究をしていくような人もいるよね、という話なんで。
で、研究者も人間なのでお金がそれなりにないと暮らせないので。
研究そのものにも費用が必要ですし。

だからか、研究者の素質がある人ほど、稼げる仕事だからとトラックドライバーになっちゃうように、費用を自力で稼ぐとなると、インフラ整備に近い仕事をやるほうがええや、という結論出しちゃうんすよね。
研究にしても勉学にしても、本質的に儲かるようなものではないんで。
すげぇ役立つというならば、モノの方が役立つ部分もありますよ。もっと言えばお金。それは、何でも交換できるからですけども。
私の親世代以上の人は、モノがない時代を知ってるので、モノがなくても生きていける!とわりと本気で思ってる節もあるんすけども、じゃあなんで、あなた方はモノを必死でつくって売ってきたのですかね?それがすごく世の中に役立つからでしょーが。
それで、世界に貢献できてないなら、周りの人みんなが貧しい世界になっていくだけなのですよ。
いや、そもそもモノをつくってないから、日本不景気なのが脱出できてないんすよね。
データベース上はね、日本はお金を世界中に貸し出ししまくってる国ですから、返せ!と世界中に言えば、また日本の財源自体は、どうにでもなりますよ。
問題は、日本の中にいる方々のメンタルっす。
満たされているかというと、満たされている人と満たされていない人に極端に別れているのです。
満たされていない人側にしても、自分で自分なりに諦めて生きることで、満たされて生きようとしてるし、満たされて生きれてる側も、満たされてない側は、もう見えてない。これ自体は、平和な時間が、長続きすると、社会が自然とこのような分断の流れにのってしまうのです。別に戦してもらいたいわけではないのですが、人間って、ある程度はリセットされている状態がないと、極端な能力差が出てきたりするんです。でも、その能力って、要は環境とか遺伝もあるけど、やる気もあります。

今の日本、累進課税で税金持っていかれてしまうという情報がけっこう出回っていまして、どうしたら節税できるのか、となってるのです。
税金支払え!と言われたらそれまでなんですけど、そもそも、税金支払う前に生活で消えるレベルの稼ぎでしかないどころか、小遣いにも足りないレベルだったりしますし、何年も放置してても売上高たまってればラッキーレベルの売上の人がほとんどでして、これでわざわざ書類書いて申請しようってなりますかねぇ?って思うほどの人が大半なんですよ、noteの売上高。
アフィブログでも同じっす。
売上高を追求しないと、物書きとしては食えないし
、そうなれないとプロとは言いがたいんすけど、もうね、皆さん無料で読める無料で聞ける情報で充分すぎるのです。それでも、お腹いっぱいすぎて、見過ごすのです。
だから、素人の瞬間風速だけの面白さを詰め込んだSNSがウケるんすけどね。
もうみんなが持ち寄る千夜一夜物語で充分ネタが尽きないのです。

だから、結局は、話を聞く側が不足してるから、話を聞く側が売れるのかなーと思いますやん?
思いますよね?話を聞く側をすれば食えると。
でもね、これ、星の数ほどいてるんす。
でも、話の聞き方のスタンスって、それ、めちゃくちゃその聞き手の性格によって違うものでして、んで、話し手にしても、どう聞いてもらいたいのかって、どうも性格が出てくるようで、結局、価値観のちがいとかの相性も出てくるんすよね。
だから、だれに話を何の話をして、だれに何の話をしないのか、がかなーり大切となってしまうのですけども。
そうなるとですね、インターネット、特にWEB記事の特性の、そこそこ長期間記事が残るという点が非常にまずいことになるようです。
いくら再編集可能って言われても、ほとんどの人、言われなきゃリライトなんてしませんからね。
それも、ブロガーさんがお金出してコンサルしてもらって、これ、リライトしましょ、と言われてもしませんからね。
だから、ブログ関係は、時代の変化にあわせて、読む機材の特徴にもあわせて、ある程度の記事数、だいたい1000記事くらいもたまってきたら、リライトできそうなジャンルはリライト繰り返していく方がいいんすよ。
根拠としては薄くなるかもですけども、だいたいリライト前の記事も、ホントに好きでも嫌いでも興味深いなら、勝手にスクショ撮ったり魚拓とったりしてますでしょ。読む方もめんどくせぇから、眺めてるレベルだと保存しないとは思うんすけどね。
わかっててもね、新しいことがわかると、既存記事の上書き保存よりも、新しい記事書いちゃう。
だから、調べたら、日付が新しいブログ記事が次々とWEBに上がる仕組みになっていくんすよね。
でも、新しいものって、精査されてないんで、それがゴミになる可能性もあるし、宝になる可能性もあるのです。
んで、精査されきって、これ正しい!となったときは、たいていみんな知ってて常識あたりに組み込まれてしまうから、情報としてお金になるものは、性質上、ゴミか宝かどっちになるかわからない状況のものなのです。
だからある意味ギャンブルっす。
んで、実業の方が儲かるってわかっててもですね、工場の機械とデカい船とデカい船が入る港の整備とデカいトラックと大量の若者のいる土地には、叶わないんでして、いくらソフトウェアがよくてもハードウェアがダメならダメになりますから、インフラ整備をしてしまえる金持ちが興味持つ土地が勝つ世界なんですわ。
そうなると、やっぱりやる気なくす。
それで、みんなが雇われる方へ向かって、そこそこうまくやれた時代を通り過ぎて、今は、萎えてる。
稼いでも税金取られ過ぎちゃいますからね。
だって年140万円以上は税金取られるって思うと、そら、みんな調整しちゃうんです。稼げる力があってもです。
税金はいつか返ってくるもの、という意識持てないんすね。コロナ騒ぎで、申請真面目にやっていた人はお金に困らないように国は整えてますけども、そもそも、書類仕事をやることが苦にならない人間の数をもう少し考えるべきです。
みんながみな、当たり前に書類仕事ができるわけではないし、書類仕事ができる性質の仲間がいてるわけでもないです。
だから、お金支払って書類仕事代理してもらう商売が成り立つほどなのですから。
それで食ってる人がすでにいてるものだから、ムダな書類仕事を減らせないでいることが日本の落ちてる原因です。
消費税をひたすら上げていく原因も、要は、真面目に納税しない人間から平等に税金取ろうとしたら、みんなが平等に買い物せざるを得ないところやその手の人間はわりと付き合いや見栄からの浪費のクセが強いところをついて、消費税上げていくしかないからです。
稼ぎ上げつつ、真面目に納税してても生活できるような納税額におさめるには、みんなで出し合ってる意識をもつ必要もあるのですけど、会社の代表者は、会社名義と個人名義の両方の名義からサラリーマンの2倍税金支払ってるんですわ。
それが、キツイから、みんな起業しなくなってて、会社という働く場が減ってるんだなーと国の運営側が思ったから、法人税減らしたりして、起業しやすくしようって調整してきたのですよね。
あと、性別でいうと男性の社長が多すぎるからと女性社長が起業しやすいような支援策の予算つけてきたりする。でも、それ、皆さん知ってましたか?
国、公報下手すぎるのです。
紙の書類配布で済ませてしまいがちなのです。
それも、自治体任せなので、自治会入ってないと情報回らなかったりしますし、自治会運営できるような余裕もなくしてる人ほど、そういう情報が必要なのに、届かないやり方しかできてないのです。

そんで、だからといって、なんかこれしたい!と具体的に思う人、あまりいてないのも事実なんですよね。正確には言葉にできないし自覚できない。
しいていえば、繁殖関係か、ラクしてかせげたらいーやーって話なんです。
それで、税金支払っていく必要が出てくるほど稼ぐやる気が出ないにつながるんすけども。
食えたらいいやなんで。
キレイな家に住みたいとか、うまい飯食いたいとか、服いいの着たいとか、そこまでこだわらなくてすむように育てられてきてしまってるんですわ。
満たされているというと語弊があり、最低限は満たしてても、それ以上の贅沢に関しては、親世代が支払える金額を超えるからと我慢させられてもいるし、なによりも、WEB記事の登場から、インターネットにつなげてしまえば、とりあえず調べはつくので、節約術の情報とかも、だれよりもきいてしまえるんですね。それでも、あの時代のWEB記事は、どこかでギークというか、そこそこお金持っててPC買える人間のみの世界でした。だから、みんなそこそこジョークもうまくて、言葉もシャレてるようなことが書き込める人ばかりの世界だったのです。

さらにいえば、あの時代のPCは、なぜか箱型でデカくて、ウイーンって音がなってて、電源のつけたり消したりが必要で、電源を消す前に、電源を消すよーという準備が必要でした。
その時代のPCを使って、パソコン教室的な授業もこれから必要なのだからと学校に初めてPCの部屋が登場した学校で実験台にさせられまくっていた世代が、実は平成元年生まれあたりの世代なんです。
彼らは、優秀な人は、めちゃくちゃ若い頃から成果出す一方で、ほとんどの人は、現実に萎えてる部分もあり、難しいことも調べてしまえるわりには、かんたんな一歩を踏み出せないまま生きてる人もそこそこいてるのです。
そのときの教育って、実験ですから、先生方もなんもわかっておらず、だから、横の繋がり強くして、お互いに友達や仲間をやって教え合うコミュニティを強くするのが当たり前の部分もあり、そのためのモノを買い与えまくることを親にねだるほかなかった部分もあるのですが、親からすれば、この変化に理解が追いつかずに、与えてもらえなかった不満を持ったまま、大人になり、不穏さを持ちがちなのです。
それで、今、親をやるとすると、なるべくモノも与えようとなりがちなのですが、もう子供達のコミュニティもだいぶ変化してきていて、インターネットの普及から進んで、SNSの普及から、その当時に強かったTVの相対的な弱体化もあって、今は、リアルタイムオンラインで常につながってる世界で生きてるのですよね。
だから、学校で知るような情報自体は、SNSで直接偉い大学の教授のSNSアカウントとつながってしまえたら、もう芸能人とか専門家とか大学教授とか作家とかに直接質問したらええ話なんです。そことつながる勇気さえあればいい。
縁に恵まれてるやーんって言われたらそれまでなんですけども、ガラケーではなくて、スマホとタブレットとPCがあるなら、ホントに著者の名前で調べて、SNSアカウントヒットしてきて、フォローしちゃえばいいし、発信にコメントしまくればいいし、運が良ければ、著者本人にDMできる状態にもなるのです。そうなりゃあ、質問しほうだいですよ。
あの、そうするとですね、ある程度以上大きな子供達にはバレてしまうんですわ。作家などをやって食ってる人間の正体というか、その人ら、国語の教科書や学校の先生のテストの答えに書いてるよーな気持ちで作品書いていなかったって真実がね。
まぁ、それ、子供はひとりひとり無邪気なのはわかってても、著者側の立場からすりゃあ、数が多すぎて疲れ果ててしまうんすけどもね。
というわけで、わりと本人にやる気さえあれば、もう今の時代には、カリスマ性もない学校の先生レベルは中途半端すぎて、いらんのです。という、困った事態にもなってるのですよね。学校どうする。
となると、学校のあり方が根本的に変わって行くしかない時代に突入したんです。
そこに、コロナショックが来たので、国も、一応各家庭へ貸し出しPCとWi-Fiは整備するような予算をつけざるを得ないようになってきています。
自宅でリアルタイムオンラインでつながりながら勉強するとなると、それ、めちゃくちゃ子供の性質によって、差が出てしまうのです。

これかーとわかってきたので、もうこれは、降参だな、引っ越して学区選びとか私学に金出して行きましょうレベル越えてきたなーと思うのです。
若い頃から、理想の教育としては、小学生から大学生みたいに単位制にして、シラバスから学ぶべきカリキュラムを自分で組んで、家族などの周りの人の仕事による生活環境のリズムとの兼ね合いを考えつつも、リアルタイムオンラインで学び続けるのは理想だとは思うのですが、現実の子育てをやりはじめてみて、親側からすれば、従来の学校の託児所的な側面は、ものすごく大きいとも実感しています。
子供が大人のそばにうろちょろしていながら、満足な稼ぎを得れる仕事をしようとすれば、大人の仕事をする時間を子供が奪ってはいけないという、子供側の理解が必要になってきてしまい、それはある意味では、子供が子供では、いられない部分もあるのかもしれないなーと。
子供が家にいて、PCでオンライン授業受けながら、大人が出勤するスタイルにしていくとしても、子供を見る人間の数が少なすぎることは考えていかなきゃいけなくて、子供がいない独身者を巻き込むとしても、そんなもん私に関係ないし知るかとなればそれまでですし、かといって、お互いに子供をみていくからと言われても、雑務が増えすぎてて、役割強すぎて、子育てへの理想が高すぎるのも、それはどうにかしないとと。
雑務を減らすことからはじめないとなーと。
子供を見るプロの数が必要な理由って、教育の質という側面よりは、託児的な側面が大きいんです……。
塾や習い事にしたって、安心して託せる上に教育のおまけ付きという価値で売れてる部分があるのです。
だから、ホントに勉強したいだけだったら、ベネッセの進学ゼミや学研のような、お家で勉強できる教材があればよくて、知育玩具があれば充分なのです。
それでわかるのは、ホントにやる気のある子供しかいないというのも、理屈としてはわかるし、それでわからない子供たちというか、やる気でない子供たちにこそ、やる気のないなりに、ある程度の情報を受け取れる素地を鍛える必要もあったりするのもわかるのですけどね。
これが難しんすよね。
子供ごとに、丁寧な接し方をしていかなきゃいけないし、それがわかんないヤツがジャマしてくるから。
まあ、そんなヤツは、「人間死ぬのは100%の死亡率なんですけど、明日あなたが死んでも、目の前の人間が死んでも、そんな接し方してて後悔しないんすか?」などと、往年のブッダがいーそーな屁理屈をぶつけてあげれば、たいてい、へ?という顔してくるし、わけわからんってなるっぽいんですけどね。だからたいして考えてないんすよ。空気感読んでないとも言いますが。
ただ、これも、どうも私の個性の話も交じるっぽいので、たいていはそんな発想出てこないっぽいです。だから、そういう言葉は、対面すると、思っても引っ込めがちになるんすけどね。

そろそろ、児童のインターンシップについて、職業体験レベルで濁さずに、深く考える必要もあるのではと思うのです。
なんだかんだ言いながら、子供をかわいがる人らで固めつつ、子供を育てるのが理想ですけども、現実世界において、子供や周りの人にイキる人間を切り捨てるという決断がなかなかつかない人間も多くてですね、こうすりゃええやんって、解決策言われても、たとえそれが適切で正しくても、なぜそれが適切か、理屈言われなきゃ入らない性格もいてれば(それが私だが)、グダグダ説明されるより、なんでもええからやってみな、の方が良かったりする人もいてて、人の態度の観察っていうのが必要ではあるわけです。
そのうえで、その人の視点からなら、うまくやれたことも、実は、視点変わると、それは思う通りにはいかないという、価値観や個性のちがいを調整する必要があるのが他人から仕入れた情報なんですよね。
そこが本人の経験から学んだこととの大きなちがいなんです。
だから、リアルタイムオンライン社会の中で生きているからこそ、オンラインでリアルタイムにつながってない時間が貴重で、どういう体験なら人とのココミュニケーションで済ませて、どういう体験なら自分の身体をつかって実験していくのか、という点に個性が出てくるし、生きる意味が出てくるんだなーと。

そんなことを思ったわけです。

そして、これも、書いてる間に忘れていき、出した瞬間に存在を忘れてしまう、そんな記事だったりもします。

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サポート代は、わたしの子供たちの育児費用等に使われます。

必ずしも、背中を押すわけじゃない……だが、立ち止まってる暇はないんだよ
8
1989年6月27日朝4時46分生まれ。かに座の女。二人の息子がいます。

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