美人差別

1年くらい前、黒人差別に対する批判が強まり世界各地でデモが広がった。
近年では性的マイノリティに対する差別も見直されるようになり、
「単なる個性の違い」という真っ当な認識が広がりつつある。

しかし、性的魅力が強い人々に対する差別は
もっと根が深く、相変わらずあまり認識されていないように感じる。
例えば、
「美人である」というだけで羨望の的になり、時に妬まれること。
これを「差別的だ」と本人が言えないこと(言えばさらに強烈な批難を浴びることになるから)。
酷い場合には、その美貌ゆえに性的犯罪の被害者になった場合でさえ、
引き続き、同情も共感もされずにむしろ悪意をもって歪んだ印象を持たれてしまうケースも後を絶たないこと。

そもそも美人に生まれたくて美人に生まれたわけではないのだ。
それなのに、いつも外見だけで先入観を持たれる人生を歩まされるとしたら、
それこそ差別以外の何ものでもない。
障害者が必ずしも無垢の善人ではないように、
美人もまた同じ人間なのだ。
しかし「美人である」ということだけで
障害者同様かそれ以上の先入観(人格者たれ等)を持たれることも多いように見える。

さらにこの問題が厄介なのは、
人種や障害者といった明確な分類が不可能であること。
人種差別や障害者差別は、ある程度客観的な分類が存在していることもあり
その差別を意識化して共有し回避することが可能だが、
性的魅力のような極めて主観的な事柄は、
そこにローカルな差別が明らかに存在していても、そのことを客観的に第三者に対して明確に示す手段がない。
だから、マイノリティは常に隠れているしかなくなる。

・・・こんな酷い差別が他にあるだろうか。
もちろん、性的魅力が薄い人々に対する差別の問題もある。
というより、この2つの問題はセットであり、
片方が解決すれば、もう片方も自ずと解決する構造になっている。

このことは、性的魅力がある人が語ると今のところ残念ながら説得力に欠けてしまい、
むしろ語った本人が受ける差別を広げる結果となってしまう。
だから、私のように性的魅力の薄い人間が発信する必要がある、と感じた次第です。

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