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「災害からの命の守り方」を読んでからのあれこれ

昨年末に、出版された森松明希子さんの著書、「めっちゃくちゃ分厚いんですよ」と事前に森松さんから聞いていたのですが、届いて開けてびっくり。ほんまに分厚い!!「なかなかの厚さやなぁー。これは移動中ではなく家で読まなあかんなぁ」と思わずつぶやきました。

見た目の分厚さに驚きますが読み始めるとテンポよく読めるのであっという間に読了できたのです。感想を聞かせてくださいねと言われていたのですが読んだもののなかなか感想を書くまでに至らず今頃重い腰をあげている状態なのでした。そもそも原稿など締め切り前にお尻に火がついてかなり煙がでてこないと仕上がらない事が多々あり、感想書くねといったままで、時間が過ぎてしまいました。感想書くね書くね詐欺でごめんね、森松さん。

と、前置きが長くなってしまいました。

郡山から大阪に母子避難した森松さん、私も郡山に住んでいたので同じなのですが他にも共通点があるのです。それは、阪神淡路大震災を経験しているという事。年齢は私よりもずっと若いのですが、彼女は当時大学生で大阪に、私は大阪の北摂、豊中市で保育士として働いていたし住居も緑地公園駅からほど近い場所でした。あの大きな地震を大阪で体験してたという点が同じです。いくつかの共通点があると不思議と親近感が湧くもので、読み進めていくうちにいろいろ自分と重ね合わせる部分がより多くなりました。

311当時の記述、赤ちゃんとまだ幼稚園入園直前のお子さんと小さなお子さんを抱えての地震。なにをどうしてよいのかという恐怖と困惑が手に取るようにわかります。実際に被災しないとわからないのですが、大地震にあうと、一気にライフラインが絶たれ、入ってくる情報はごくごく限られたものになります。携帯電話もつながらなくなりますし、停電でテレビなどもアウトです。カーラジオや電池式のラジオからの情報のみで、あとは、わからない中でのそれぞれの人が知りえた情報を近所の人との会話で知るという感じになるのですが、まだ赤ちゃんのお子さんと幼児を抱えての中で、本当に不安だったことがよくわかります。

その中での原発の異常情報。爆発、しばらくその重大さに意識がいかなかったのは森松さんだけではないでしょう。私の場合は、上の子が高校生で埼玉の寮にいたし、下の子は小学5年生で大きかったこともあり随分そのあたりは状況が違います。

森松さんが避難を決意するまでの状況は、友人や私がしていた自営業の顧客のママさんたちから聞いていたので手に取るようにわかるのです。その時点で私は、京都の実家を経て避難しながら福島にいる友人に危ない事を伝えたり、避難してこの先どうしようかという若いママさんの友人たちの相談をきいたり連日携帯電話でやりとりをしていました。まさに幼稚園の入園式がある、どうしようこんなので本当に大丈夫なの? 学校始まるって大丈夫なんだろうか?という声を連日聞いていたのを、本を読んでいると次々と思い出してしまい。顧客できていたあの親子はどうなったのだろうなどという思いも頭の中でいろんな親子の顔がグルグルめぐりました。

あの時、国はもちろん行政も本当にひどい対応で、市民の安全よりも爆発した後の放射能の危険性をごまかし曖昧にし、とにかく大丈夫だと思い込ませる事だけにチカラを入れていたようにしか感じていなかったのです。そして真面目にお子さんのことを心配している親はいちはやく、行政がセッティングした山下教授の講演会に行き、安心してくだい論の中にいたのです。この時も避難している私や他にも避難したお母さんたちは友人たちに危険だと呼びかけている人はまだたくさんいたのですが、大丈夫であってほしいという心理となんとか大学教授やなんとか病院院長など肩書の大丈夫、安心してね軍団に飲み込まれていきました。

そんな中、森松さんがママ友や幼稚園の中での先生との会話など揺れる気持ちや本来なら感じなくてよい申し訳ないような気持ちを感じながらもこどもの事をまず考えて避難に至られたこと、をこの本を読むとよくわかります。そしてそれは、そうせざる得ないような重大な核災害であるということなのです。

この本の中で彼女が終始問いかけているもの。「あなたならどうしますか?」という事。これは本当に大事な事だと感じています。何かの災害に自分は絶対に会うことはない、なんてことは言いきれないのです。ただでさえ日本は地震大国、そして近年気象状況がかわり大雨による被害も増加、自然が原因の災害に必ずと言っていいほどの人災が加わる。人災の中でも核災害は想像を超えるのではないでしょうか?

原子力発電という名称の原発。それがどれくらい危険なのかはこの日本において認識が本当に低いのだと私は、福島の原発爆発で実感しています。ほとんどの人が気が付いたら日本中あちこちにすでに原発は存在していたのではないかと思います。それは普段意識することなく稼働していたでしょう。著者の森松さんも311を経験するまで、原発について特段意識がなかったとあります。私はというと、福島県に住み始めたときに事故隠しで原発を停止する知事と東電のニュースが福島の地方紙で取り上げられていてさほど危機感を感じずにニュースを見ていました。その後は、九州の佐賀県で市会議員をしている年は一回り上の先輩。お友だちというにはおこがましいくらいの人生の先輩が、玄海原発のプルサーマル反対に関わっておられプルサーマルの危険性について話されていたのをきっかけに少しプルサーマルについて調べた経緯があり福島の原発が簡単にプルサーマルを受け入れ稼働することをなんとなくそんなに簡単に大きな話題にもならずに受け入れていいのかなと感じて自分のブログに記していたのです。がまさかその5か月後にそのプルサーマルを稼働していた3号機が爆発するとは夢にも思わなかったくらいでした。

普段の安全アピールがどれくらい国民に浸透していたかを、311後に体感していきました。この本の中にも詳しく書かれている、言論の封じ方。助成金やお金で絡めとるやり方などは、本当に狡猾でどんどん飲み込まれていった人々を目の当たりにしてきました。こういった流れもしっかり知っておくべきです。自分がこの立場になったときどうするのか。このあたりは、日本の人が他国の人に比べて意識が低いというのを同じアジア圏内の台湾や韓国での意識との差が大きいと感じています。

そして意図的な言葉の言い換えにより、被害を小さく見せたり重大な事だと感じなくさせてしまったり、事の本質を見えなくさせるやり方についてもくわしく書かれています。こういったことは意識していないと簡単に刷り込まれてしまい、気が付いたら加害を犯している権力の思う壺にすっぽり入り疑問にすら感じなくなってしまうので本当に危険だと感じています。このような事をどれだけ一人一人が意識できるかで、社会は変わっていくのではないかと思うのです。

めちゃくちゃ分厚い本になっていますが、中身は小難しいものではなく二人のお子さんの健康と命をどう守るかを考え行動している母親の声がそのまま書かれています。自分に引き寄せて読み進められる内容なのです。そして今の日本社会が抱えている問題が読みすすめるとよりはっきりと見えてくると思います。

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