芥川龍之介
あなたは「この作家の書いたのもを全て読まなければ」といった使命感にも似た感情を抱いたことがお有りだろうか?
芥川龍之介
僕はこの作家にそれを抱いている。
名前だけは知っていて授業で羅生門や杜子春を一通り読んだ程度の知識
それがひょんなことから1年ほど前、『或る阿呆の一生』を手に取り読み始めた。或る阿呆とはどんな人物か、純粋な興味からだった。
『或る阿呆の一生』は物語ではなく、芥川の自伝的なもので死ぬ間際に書かれたらしい。自分の人生を回顧して書いたのではなかろうか。そんな予備知識を少し入れ読み始めた。
するとなぜだろう。文体からにじみ出る繊細さ、悲哀と表現したらよいのだろうか、そういったものが内容よりも先に体内に入ってくるのである。
まるで、誰かにじっと冷たい視線を向けられているような。
いや、冷たい中にも温かさがあるような。
読書好きでこれまで多くの作家に親しんできた自負はあったが、こんな体験は初めてだった。
もっと知りたい、もっと感じたい。
それから、僕は芥川の書いたものより先に、人々が芥川のことを評した本を読んでみた。
幼いころから秀才の誉れ高く、当時の最高学府である東京帝国大学を卒業。あの夏目漱石にも絶賛された『鼻』で文壇に躍り出た。そして時代リードする人気作家となる。
しかし、そんな順風満帆な生活とは裏腹に精神を病み最後は自ら命を絶った。
繊細な性格で、家の使用人にも敬意をもって接していたらしい。高い名声からくる傲慢さはなかったのだろうか?
彼は妻がいながら度々浮気をした。しかし、妻は後年「芥川との結婚生活は短かったが、彼のことを全く信じて過ごす事ができました」と語っている。浮気をしたのになぜ妻は彼を信じて過ごす事ができたのだろうか?
ここまで来て、非常におこがましいのだが、芥川と自分の共通点が多いことを感じてしまった。
僕は、人一倍繊細な自分の性格を恥じながら、人一倍他人に気を使いながら生きている。芥川もそうだったのかもしれない。
繊細で気弱で、でも他人への優しさを忘れることはない。他人を思うが故に自分を責め、追い詰めていった。
なぜ芥川は自ら命を絶ったのか。彼の残した作品を全て読めば自分なりに理解できるのではないか。
いや、彼のことを理解したい。
そう強く感じた。そのことが芥川と似た性格を持つ自分の人生に必ずプラスに働くとも思った。
彼の人生を見つめることでなにか得られるのではないか、何か見えてくるものがあるのではないか、
読まねばならぬ、読まねばならぬのである。
僕にとってそう思う作家は、芥川龍之介、ただ一人である。
答えはまだ見つかっていない。もしかしたら永遠に見つからぬのかもしれない。永遠に理解できそうもないと感じることもある。
しかし、純粋な好奇心と強い使命感が、ページをめくる手を止めることはないであろう。