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相手が求めているものを察する力を鍛える

こんにちは。

牧 菜々子です。

「ビジネスで成功したければ、ニーズを考えましょう。」

「相手が求めているものを提供しましょう。」

よく言われる言葉です。

それができれば苦労しない。

そう思われるかもしれません。

でも私たちは、日常生活の中で、「相手が求めていることに気づく瞬間」に遭遇しています。

それを、自分からよけるような対応をしていることがあるのです。

「ここを褒めてほしいのかな」と気づいた時

たとえば、誰かと会話をしていて、「この人は、ここを褒めてほしいのかな?」と思った時。

わかっているけど、それをしてあげないことはありませんか?

もしくは、「この人、この話をしたいんだな。」と思った時。

何となくわかるけど、ネガティブな話を聞かされるのもいやだし、自慢話を聞かされるのもいやだから、その話には乗らない。

無意識に、気づかないふりをしていることがあるのです。

これでは、「相手が求めていることを察する力」は、鍛えられません。

自分がどう感じるかは関係ない

相手が求めていることを察したいなら、その中身が好ましいかどうかは関係ありません。

ましてや、自分がそれをどう感じるかということは、もっと関係ありません。

相手が求めていることがわかる瞬間というのは、意外なほどたくさんあります。

反射的に拒否反応を起こしていたら、ニーズに応えることはできないのです。

鍛えなければ身に付かない

相手が求めているものを察する力は、鍛えなければ身に付きません。

逆に言うと、常に意識して、気づいたときには応じるようにしていると、少しずつ鍛えられます。

相手が求めているものは、必ずしも好ましいものとは限りません。

必ずしも共感できるものではないかもしれない。

それでも、とっさに拒否反応を示さずに、応じるようにするのです。

たしかに、陰口や悪口に乗るのは、品がないからしたくない。

そこで、相手の求めているものを察する訓練だと思って、場合によっては言わせてあげるのです。

安全圏で澄ましていては、相手の求めているものを察する力は身に付かないのです。

自分の気持ちが強いと見逃してしまう

相手が求めているものは、往々にして、自分からは恥ずかしくて言えないことである場合が多いのです。

つまり、一見好ましくないものである可能性が高いということです。

もちろん、「善いこと」も、私たちが想像する以上に求められているのも事実です。

逆に、求められているものが好ましいと思えないものであったとしても、それは自分の感覚でしかありません。

自分の気持ちが強かったり、自分と相手を比較したりすると、相手が求めているものは何も見えなくなります。

一度見えなくなってしまうと、明らかに見え見えのサインでさえ、見逃してしまうのです。

それでは、あまりにももったいない。

たとえ好ましいものではなくても

好ましいものかどうかは抜きにして、「こうしてほしいのかな」と思った時には、対応してみる。

そうすることで、「相手が求めているものを察する力」は、格段に上がります。

決して上品なものではなくても、相手が求めているものを察する力を鍛えることはできるのです。