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抱っこされる子どものほうも何かと不自由なはず

こんにちは。

牧 菜々子です。

もう歩けるのに、「だっこ」「だっこ」と言うわが子。

すぐに手に持っている荷物を置いて抱っこすると、とっても満足そうです。

でも、抱っこされる子どものほうも、自分で自由に歩き回れなくなるわけですし、何かと不便なはず。

多少不自由になるとわかっていても、それでも抱っこしてほしいということは、よほど甘えたいということなんですよね。

靴を履かせてもらうのだって、お着替えをさせてもらうのだって、自分でやるほうが自分にしっくりくる仕上がりになるはず。

多少違和感が残っても、履かせてもらう、着替えさせてもらうことに意味がある。

多少不自由になっても、抱っこされることに意味がある。

そんな切実な子どもの思いを考えたら、応えてあげられる範囲も、ちょっと広がりますね。






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