「青年海外協力隊のいま」#2 地球の裏側・ブラジルで日本語教師!青木衣里
青年海外協力隊の任地での活動といまを紹介するコーナー
「青年海外協力隊のいま」
第2回はブラジルで日本語教育をしていた青木衣里(あおき えり)さん!
地球の裏側ブラジルで日本語を教える青木さんの「いま」をご覧ください!
自己紹介
名前:青木衣里(あおき えり)
隊次:2019年度2次隊
職種:日本語教育
派遣国:ブラジル
派遣時期:2020年1月~3月
出身:福岡県
みなさん、はじめまして。青木衣里です。
大学でブラジルポルトガル語学科を専攻し、在学中に1年間ポルトガルに留学していました。大学卒業後に日本語教師の資格を取りました。
性格はのんびりしていて人見知りですが、どこでも生きていけるところが自分の良いところだと思っています(笑)。 「何も考えてなさそう」って周りの人に思われがちですが、実際にその通りです(笑)。そこも自分のよいところだと思っています。
趣味は、映画見たり、旅行したり、友達とドライブすることです。
青年会海外協力隊に応募した理由はなんですか?
語学を学ぶことが好きでした。語学を通じてブラジル人と関わりたいと思い、日本語教師養成講座に通い始めました。
受講した養成講座の先生はブラジル在住経験があり、青年海外協力隊のOG(派遣国:ミクロネシア、職種:日本語教育)でした。先生が授業中に今までの経験を話してくれました。
先生の話を聞くうちに、どんどん「もし自分が青年海外協力隊だったら…」と想像が膨らみました。周りの人にたくさん助けてもらいながら、青年海外協力隊に応募しました。
青年海外協力隊の合格通知を見たときは信じられなくて、10回くらい見直しました(笑)。
派遣国はどんな場所ですか?
派遣国:ブラジル
私の派遣国は大好きなブラジルです!
オープンでユーモアあふれていながらも温かいブラジル人にずっと夢中です。
住んでいた町はどんな場所ですか?
住んでいた町:イビウーナ市
私が住んでいた町は、サンパウロ市から車で2時間ほどの距離のイビウーナ市です。夕日の色が数分ごとに変化していく様子がとても素敵でした。
イビウーナ市は人口8万人の小さな街ですが、2500人ほどの日系人の方が暮らしています。
編集者メモ
そもそも、なぜブラジルに日系の方が多いのでしょうか?
1888年に奴隷債が廃止になったブラジル。アフリカ移民に代わる労働力として、ブラジル政府は日本移民の受け入れを表明しました。一方、日本は日露戦争の後に農村の貧困化が進んでいたため、ブラジルに移民を送ることにしました。苦労は絶えない日々だったようですが、ブラジルの農業の発展に大きく貢献しました。
移住開始から約100年。現在もブラジルには約200万人の日系人(2世、3世)がいるとされています。
配属先はどんな場所ですか?
私の配属先はイビウーナ市の日本語学校です。
3歳から17歳くらいの日系・非日系の学生が日本語を学んでいます。
日本語学校は日系の文化協会の中にあります。緑の囲まれた場所で、野球のグラウンド、バスケットコート、テニス場、陸上競技場などのスポーツ施設もあります。学生以外の文化協会の会員のみなさんが和気あいあいと活動しています。
どんな活動をしていますか?
日本語教師として9歳から17歳までの生徒の日本語教育を担当しました。
生活言語がポルトガル語の子どもたちに日本語の楽しさを少しでも感じてもらうことが活動の目標です。
配属先である日本語学校は日本語指導にほかにも、マナーや情操教育の指導にも力を入れています。
好き嫌いせず食べるなどの食事のマナーの指導から音楽や体育や図工まで幅広く指導していました。
「日本語を使って日本文化に関係するものなら何でも一緒にしよう!」と子どもたちと一緒に時間割や勉強する教科を考えてみました。
しかし、「裁縫」と生徒が言った時、私は裁縫の知識がないので「ちょっと保留で」と言いました(笑)。
活動で嬉しかったことはなんですか?
生徒たちは私を「先生」と呼んでいたのですが、ある6歳の女の子だけは私を「bonequinha(お人形さん)」と呼んでいました。
私は内心「もしかして日本人形をイメージしてbonequinhaって言ってないよね?」と思いつつ、そう呼ばれるのが好きでした。
毎日、彼女が登下校するときはハグをしにきてくれていたのですが、ある日の挨拶で「こんにちは。Eu amo bonequinha (お人形さんが大好き)」とハグをしてくれながら言ってくれました。私は一瞬嬉しくて固まってしまいました。本当は「Eu também !!(私も)」と言いたかったのですが、照れてしまい「Obrigada(ありがとう)」とだけ言いました。
私にとって、ほとんど初めての日本語教育活動です。子供たちに新しい経験や感じたことがない気持ちを体験させてあげることができたらいいなと思って活動していました。でも同時に、私自身が子どもたちに気づかせてもらうことや与えてもらうことがたくさんありました。
活動で苦労したことはなんですか?
「どうやったら授業をスムーズに授業ができるのだろう」と、毎日毎日、悩んでました。
「日系人は見た目は私たち日本人と同じだけど、ブラジル文化で育っている」という言葉をよく聞いていました。
実際、その通りでした。授業中に自由に席を立つマイペースすぎる子どもたちに「やはり日本の小学生とは違うな」と思って大きな声でよく怒っていました。
日本語教師として生徒とは基本的に日本語でコミュニケーションを取っていました。しかし、日本語しか話さない私とポルトガル語を話す生徒で関係を築くことは難しかったです。言語って大切だと改めて思いますね。
帰国から今まで、どう過ごしていましたか?
帰国から今までは、のんびり過ごしていました。日本語教師養成講座の先生に会って話を聞いてもらいました。せっかく時間があるから何か新しいことを始めてみようかなと考え始めたりといったところでした。
編集メモ
新型コロナウィルスの影響で青年海外協力隊の全隊員約1800人が帰国しました。現在も派遣国へ戻る予定は立っていません。
これからの予定は?
青年海外協力の再派遣まで時間はかなりあるので、勉強したいです。
買ったものの開いていなかった宅建士(宅地建物取引士)の教科書を最近やっと開くようになりました。小学校の教員免許も欲しいなと考え始めたところです。
※2020年8月現在:青年海外協力の再派遣の日程は未定
青年海外協力隊に関わりたい人に向けて
青年海外協力隊のおかげで、かけがえのない経験と友人ができました。
「大好きなことを、大好きな場所で、素敵な人たちと!」
といったところでしょうか。
応募前、派遣前訓練の前はこれからの生活に不安も持ったときもありましたが、私は駒ケ根で派遣前の語学訓練を受けたときから、協力隊に携わる楽しさを感じていました。職種、出身が違う人と関わるってすごく楽しいです!
私は応募して本当に良かったです!
編集者メモ
派遣前訓練って何でしょうか?
青年海外協力隊は長野県の駒ヶ根もしくは福島県の二本松で70日間の長期派遣者向け訓練があります。語学、活動手法、安全管理などを学びます。訓練が終わると晴れて「隊員」として派遣されます。
まとめ
ブラジルで日本語教育をしていた青木さんの紹介、いかがでしたか?
最後までご覧くださってありがとうございました!
次回もお楽しみに!
青年海外協力隊の方へ協力のお願い!
協力隊の魅力が伝えられるように、みなさんの活動や気持ちを整理するきっかけになるように、そんな思いで「青年海外協力隊のいま」を企画しています。記事を書いてくださる方、インタビューを受けてくださる方がいらっしゃれば、お気軽にご連絡ください!
対象:どなたでも!(現役、OBOG、派遣待ちの2019年度3次隊以降)
参考資料
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