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ちっぽけな私から抜け出して「医者と患者さんの橋渡しをしよう!」と思ってSNSをはじめるまで。#2 お孫さんですか?と言われた子育ての暗黒期

私が「どん底時代」から、「自分の発信に自信がもてるようになり、女性の共感をえる」までの

「マイストーリー」を、全三回にわたってお伝えしています。



マイストーリー第一回は、大学病院時代の栄光と影として、



「婦人科腫瘍グループ」の一員として、
ガン患者さんを担当している時に

遠距離恋愛の末、結婚。


片道1時間半かかる遠距離通勤を送りながら、不妊治療、流産を経験し出産。


という話をお伝えしました。

出産後、ようやく終わった・・・と思った私に待ち構えていたものとは?


マイストーリー(全三回)

第一回 :大学病院時代の栄光と影

第二回:お孫さんですか?と言われた子育ての暗黒期


第三回:東京で味わった孤独と新しい仲間との出会い



第二回:お孫さんですか?と言われた子育ての暗黒期


・自分が情けなくて泣いた日


やっとの思いで出産した日の夜、私は泥のように眠り、翌日、目を覚まします


帝王切開の傷が、さすがにジンジン痛みましたが、


看護師さんから「歩きましょうかぁ〜」と言われ、

傷をおさえながらベッドから一歩、足を床におろしてみました。



さあ、歩くぞ!と点滴棒につかまりながら、立ち上がったところ

足に力が入らない!
ふらふらして歩けなかったのです。


「ん?おかしい」


傷の痛みのせいかと思いましたが、それにしてはあまりに力が入りません。



私、こんなに筋力なかったっけ・・・

体が軽くなってバランス崩れた?

あーでもないこーでもないと、
いろいろと考えた結果、たどりついたのが
「骨盤のずれ」でした。



陣痛の時、赤ちゃんが私の骨盤を通り抜けようと、頑張っていました。


その時、陣痛のお腹の痛みと一緒に、私が感じたのが、骨にダイレクトに響く痛みでした。

よく陣痛の痛みを、腰をハンマーで殴られてるみたい、と言いますが、まさにそんな感じ。



私も、左側の腰が猛烈に痛かったことを思い出し、


もしかしたら、骨盤がずれているのかな?

だったら、戻るように骨盤をしっかり固定しなきゃ!


そう思って、「トコちゃんベルト」を腰に巻きました。



すると、腰がぐらぐらせずに歩けたのです。

す、すごい!

出産って、骨盤にかなりの負担をかけているんだなって、その時身をもって感じました。

産婦人科医でも、自分が患者になって初めてわかることがたくさんあります。



「歩けてよかった〜、さあこれからは順調に退院かな」

・・・と思いきや、


まさかの血圧が高くなり、ベット上での安静を言い渡されます。ううう(涙)。


ちょうど出産して4日目くらいの時でした。


赤ちゃんを新生児室に預け、

一人、病室で寝ていた私は、

ふいに自分が情けなくなり涙があふれてきたのです。



自然分娩で産みたかったのに、帝王切開になったこと


傷が痛みと骨盤のずれで、歩くのがふらふらだったこと

血圧が高くなってしまったこと




すべて、私がしっかりしていないせいだ、

そう思えてきて涙がとまりませんでした。



自分でも、どうしてこんなに悲しいのか、わからないくらい。


その時、自分では気づかなかったのですが、


産後4日目くらいは、

ホルモンががぐっと減るせいで、

気分が落ち込みやすい時期なんです。



その時に血圧が高くなったことで、

情緒不安になっていたのかも。



産後の女性の体は、デリケートですよね。



遠路はるばる、お見舞いにきてくれた、

義理の両親や義理の兄たちとも

ゆっくり話すことができず、

病室で大人しく寝ていたことを覚えています。



結局、安静だけでは血圧が下がらず。

降圧剤を飲みながらの退院になりました。





・出産後に待っていたもの



自宅に戻り初めての育児がスタートしました。


完全母乳で育ていたので、

しょっちゅう授乳をしていましたが、



4か月目くらいまでは、

特にこれと言った心配もなく過ぎました。


しかし、職場復帰のために保育園探しを始めると

育児の壁にぶちあたったのです。


そのころ住んでいた仙台も、保育園激戦区。


0歳児でないと保育園に入りにくい!

そんな情報を聞き、

職場からの「いつから復帰できますか?」

という声に


子供が六か月になる4月から

職場復帰をすることにしました。



それまではあまり手がかからなかった子供が、

職場復帰が決まったとたん、

猛烈な夜泣きが始まったのです。




夜間、2~3時間おきに泣くのはいい方で、

多い時では30分から1時間おきに泣いて

その度におきる生活。




誰に相談してもネットで探しても、

夜泣きがおさまることがなく、

ついに職場復帰がスタートします。




時短勤務でしたが、睡眠不足のため体はふらふら。



睡眠リズムが落ち着かない子供を相手に、

夜のくるのが怖いとまで思っていました。



そんなある日。

保育園からの帰り道、

通りがかりのビルの駐車場の、

管理人のおじさんから声をかけられました。


「可愛いねぇ〜、お孫さん?」






孫? 今、お孫さんって言ったよね?

私、おばあちゃんに見えたの?!



その言葉に頭が真っ白。

40歳にもなっていなかったのに・・・。


ふとビルのガラスにうつった自分の姿をみて

ハッとします。




ボサボサのひっつめ髪。

化粧っけのない顔。

カーキ色のダブダブコート。

ゆるいジーンズ。



あまりにも疲れきった姿の自分をみつけ

私が私ではない気がしました。


待ち望んだ我が子

楽しい育児のはずが

全く余裕のない自分の姿に

こんなはずじゃないのにと

悲しくなってしまいました。




その頃の私は子育ての相談相手がいなくて

一人で抱え込んでいました。


でも、もう限界!そう思って

職場にいる子育ての先輩である女医さんや

看護師さんにいろいろ話を聞いてもらううちに

少しずつ、自分を取り戻していきます。


そして、少しずつ、

自分の時間をもてるようになりました。


(子供の夜泣きも、授乳をやめたら1週間でおさまりました)



やっぱり、話相手と自分の時間は大事ですね。


あの頃に戻れるなら

「大丈夫だよ、力を抜いて周りに頼ってごらん」


そう伝えてあげたい。


今、育児で大変なお母さんにも


大丈夫だよ、もうすぐ楽になるよ

そう伝えたい。



やっと自分の生活のリズムをとりもどした私。

いよいよ、来年は小学校入学だ♪


そう思い、ランドセルや学童の情報を集めていたところ


寝耳に水!

夫の転勤話がもち上がるのです。


40年以上、住み慣れた東北の地を離れ

友達のいない、東京への引っ越し。




小学校入学を控えた子供。


人生真っ暗!と思った私でしたが


この上京が私の人生を

まさに! まさに、180度変えたのです。


次回は、マイストーリー第三回

東京で味わった孤独と新しい仲間との出会い



ちっぽけな私から抜け出して「医者と患者さんの橋渡しをしよう!」と思ってSNSをはじめるまで

完結編をお届けします。


最後までお読みいただき、
ありがとうございました。


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診察室から飛び出した医師。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします❤️


MAKI

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