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正直者は損をする

嘘つきは泥棒の始まり、とは子どもの頃からのお馴染みの言葉。
今は娘にも、約束を守ることの大切さや自分が言った言葉に対する責任を知ってもらうために、時々この言葉を使う。

ヤンチャしたい思春期のころには、
人はうまく嘘をつきながら大人になっていくものなんだぞ
などと兄から訳知り顔で言われて、よくわからないけれどそういうものなのかぁと思ったりしていた。
もちろん、誰かを深く傷つけたり法に触れたりするような嘘は、絶対にダメだという前提で。

でもきっとみんなそうやって上手に小さな嘘をつきながら、
日々の出来事や人間関係なんかをやりこなしているのだと思う。

時々、自らついていた嘘を後になって露呈させる人がいて、
しかもそれは些細というより意外と大きな嘘で、
嘘をつかれていたことの衝撃と共に、
その豪快さというか大胆さというか、
そんなことに、怒りや悲しみを通り越してむしろ感心したりするのだけど、
タチの悪い嘘つきが何を盗むかって、
人の好意や善意や楽しかった思い出や誰かとの良好な関係とか、
そんな形のないものだったりして、
そしてそれは、周りからは見えない故にとても厄介で、
目に見えるものを盗んでくれた方が余程いいくらいで、
けれどそんなことは当の本人は気にも留めず、
羨ましいくらいに力強くしぶとく生きていたりする。

決して正直なことが悪いわけじゃないのに、そんな誰かのことを見て、傷ついたりうじうじ悩んだりして、
正直に向き合っていた自分はなんだか損してるなぁと思ってしまうこともある。

だからと言って、じゃあ自分は全てに正直か、というとそんなわけはない。
かつての兄の言葉に忠実ということではないけれど、
諭しているふりして娘にだって嘘はついている。
あることにおいてはその方が娘のためだと信じられるから。

自分や周りに正直でいたいと思う反面、
その思いや姿勢を貫くために嘘をつかなければならない、嘘をついた方がいいこともあるのは、
時にはすごくもどかしいけれど、でもそれが大人っていうことなのかもしれない。
なんて思ったりする。