見出し画像

【春分】 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)

この春、最初に雷鳴を聞いたのは、京都の友達の部屋でのことだった。ゴロゴロという乾いた音が、薄暗い空を平たく渡る。確かその日、関東にいる友達も雷のことをSNSに書いていて、「同じ空の下」にいるような、安心に似た気持ちを覚えた。

天気で思い出すのは、学生時代のことだ。上京したての頃、新聞奨学生として住み込みで働いていた。初めての東京。初めての新聞配達。しかも、早朝も早朝、朝の3時半に起きて、真っ暗の凍える闇の中を、自転車の前と後ろに積み込めるだけの新聞を積んで配達に出かける。

ただでさえ過酷なこの仕事にとって、天気はとても重要な要素だった。雨が降れば袋詰めの作業が増える。雪など降れば、そもそも新聞そのものが配達所に届くのも遅れたりする。路面も滑りやすくなり危険度もアップするし、指先が凍るように冷たく、というより痛くて、終わった頃には芯のそこまで冷え込んでしまう。夏は夏で、夕立があるような日の配達はとても怖く、いつもに増して重労働だった。汗の蒸した匂いが、雨ガッパを脱いだ身体にしばらくまとわりついている。そんな日は、濡れた格好のまま、そそくさと銭湯に駆け込んだっけ。

かくして当時の私には天気予報が最も重要なニュースだったわけだが、それは田舎の両親も同じことだったらしい。東京の天気を、いつもとても気にかけていた。天気の日が続くとほっとするし、雨だと「麻希子は大変だろうな」と心配をする。「天気をみてこんなにそわそわするなんて...」。久しぶりに実家に帰った時、その言葉を聞いて目頭が熱くなったのを覚えている。

新しい生活が動き出すこの頃。新たな土地で暮らす大切な人を思い、これまで「遠い場所」だった地方の天気を気にかけている人は、全国にきっとたくさんいることだろう。「そっちは暖かい?」「もう桜は咲いているの?」「何か足りないものがあったらいつでも電話するんだよ」。...って、今は電話なんかあまりしないのか。

存在を響きから感じるということ。それは、全身で耳を澄ますような行為で、あなたとの距離をとても近くに感じさせてくれる。

もし何か響くものがあったら、是非。大切な人に、メッセージじゃなくて電話をしてみるというのは、いかがでしょうか。