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劇場の「顔」になるのは偉い人たちばかりじゃない

東京芸術劇場・芸術監督の野田秀樹さんが、劇場開場30周年に向けて【「劇場は人が屯をするところではない!」に始まって】とのメッセージを公式ページに出した。

2月のアレに関してはノーコメントかい!というツッコミはさておいて、芸劇のアトリウムに流れる開放的な空気を思い出し、首をブンブン振りながら読んでしまった。

「劇場の顔」と聞いてまず思い浮かぶのは、日本でもここ20年くらいで定着した”芸術監督”と呼ばれる演出家と、その劇場の舞台で活躍する俳優陣だろう。前者は芸劇の野田さんをはじめ、コクーンの松尾スズキさん、KAATの白井晃さん、新国立の小川絵梨子さんなど。後者は……あれ?すぐには思いつかない(ダメじゃん)。

で、なにが言いたいかというと「劇場の顔」として認知されているのは、いわゆる「演劇界で著名な人」だけなのか、という話。

たとえば野田さんのメッセージに出てきた警備員さん。芸劇にある程度足を運んでいる人なら、誰でも”例の警備員さん”のことを思い出すと思う。劇場の開場時間になると、地下1階のシアターイーストやウエストの周辺で「〇〇はこちらのシアターウエストで開場中です」、もしくは1階のエスカレーター付近で「△△は2階、プレイハウスです」とアテンドしてくれる初老のあの人である。

最初は「やけに張り切っている警備員さんだなあ」とも思っていたが、彼の存在を認識する中で、いつしか観劇前のワクワクした気持ちが増幅するのを感じるようになった。なぜなら、その人のアテンドの声がいつもとても明るくて義務的ではなく「あなたたちはこれから日常とは違う世界を体感するんですよ、楽しんで!」と背中を押してくれるように思えたからだ。

ああ、きっと彼も演劇が、そして劇場が好きでたまらないんだなあ。それはこの仕事に就く前からだろうか、それとも警備員として劇場で過ごすようになってからだろうか……そんなことをうっすら考えながら非日常の世界に吸い込まれる。

そして非日常の世界から抜けて劇場アトリウムに出ると、また彼の声が聞こえてくるのだ「どうぞお気をつけてお帰り下さい」と。わたしの芸劇での観劇はここまでがワンセットである。

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さらに「劇場の顔」として忘れてはならないのが、日生劇場のスーパー案内スタッフ・梅津さん。

TBS『マツコの知らない世界』に「劇場の世界」案内人として出演することになった時、ディレクターとの打ち合わせの中で「日生劇場には他と違うスペシャルな案内スタッフさんがいる」と話したことがきっかけで登場してくれたあの方。日生劇場で1度でも観劇したことがあれば、黒髪ボブ&前髪を上げたスタイルが印象的な彼女のことが目に入るはずだ。

梅津さんがどれだけ特別かというと、そこに彼女がいるだけでスポットライト(後光?)が当たるレベル。場の安定が約束される安心感がすごい。ずっと以前からその存在に注目してはいたがが、1度(テレビ云々のはるか以前)梅津さんに声をかけ、実際に助けてもらったことがある。

鹿賀丈史さん×市村正親さんの『ラ・カージュ・オ・フォール』。ファイナルということで(結果それは”ファイナル詐欺”になったけれど)やっとの思いで取った千穐楽間近のチケット。それなのに、後列の男性が1幕中ずっとガムをくちゃくちゃ噛んでいるという地獄の環境にハマってしまった。

これが私語なら後ろを向いて「しーっ」とできる。が、ガムの咀嚼音だ。本人はそれが前列の人間に多大なダメージを与えていることに100%気づいていない。自覚のない行為への注意は難しい。逆切れも怖い。でも、この日が御大2人のラ・カージュ見納め。ネガティブな環境で終わるのはツラい。

ということで「こんな案件、申し訳ない」と思いつつ、幕間に梅津さんを見つけ、状況をお話させてもらった。彼女は「それは大変でしたね」とまずこちらの気持ちに寄り添ってくれた上で言った「どこまでできるかわかりませんが、ご注意させていただきます」。

結果、2幕で後列男性のガム咀嚼音は聞こえなくなった。

梅津さんがどんな”魔法”を使ったのかはわからない。もしかしたら、たまたまその男性の手持ちのガムが切れたのかもしれない。が、まずこちらの気持ちに寄り添ってくれたこと、そして、できるかわからないと前置きしたうえで対応してくれたことが本当に嬉しかったし、日生劇場の「個々の観客に向き合う」姿勢がめちゃくちゃ沁みた。

芸劇の警備員さんも日生劇場の梅津さんも「演劇界で著名な人」ではない。が、間違いなく彼らは「劇場の顔」として存在している貴重な人材だ。彼らの仕事のおかげでわたしたちの観劇はスペシャルなものになる。

先月、この禍以来初めて芸劇に足を運んだ。

アトリウムは相変わらず開放的で光に満ちていたけれど、あの警備員さんの弾けるような明るい声は聞こえてこなかった。きっと、感染症拡大防止の観点から、施設で大声を出すことを今は控えているのだろう。

彼の明るい声がまた芸劇のアトリウムに響くのを聞いた時、わたしは「禍」が終わったと心から実感するのかもしれない。


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