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女の万葉集ツイキャスやります

 5月22日、19時よりツイキャス有料配信をやります。
テーマは「女の万葉集」。私の好きな万葉集の相聞歌をテキトーに選び、それに合わせた自撮りを展示した作品をオンラインでお見せしながら、自分の恥ずかしい過去の恋愛体験を交えて歌の解説をします。解説に関してはあくまでも主観ですので、学術的根拠は求めないでください。

 万葉集なんて、堅苦しくて難しい。

 そう思われている方にぜひ見ていただきたい配信です。
万葉集は実はエロの宝庫なのです。

 私が自分の写真に万葉集を合わせようと思ったそもそもの動機は、自分の写真に昔のエロ本みたいな「謎ポエム」を付けたいと思ったこと。
 若い頃、編集プロダクションでアルバイトをしていて、謎ポエム執筆担当だったこともあるが、量産するのはシンドイので、どこかから引用できればと考え、万葉集なら著作権を気にすることなく使えると思って引用することにした。

 でも、なぜ万葉集なのか。
 古今集じゃダメなのか?小野小町や和泉式部、西行あたりのほうがいいじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろう。

 私が万葉集を好きな理由は、その表現の生々しさにある。

 時代が下ると、歌に技巧が凝らされて、より洗練された表現になっていく。
 小野小町の有名な「花の色は…」なんて、幾重にも凝らされた技巧で目眩がしそうだ。そういうものもたしかに素晴らしいが、私が好きな表現は「生々しい生命感と生活の臭い」だ。
 つげ義春氏の漫画に「リアリズムの宿」という漫画があるが、その中で説明されている「リアリズム」それこそが私の目指す表現なのだ。

 話を万葉集に戻すと、万葉集の表現は、とてもおおらかで、性的な事柄もあからさまに書かれている。
 会いに来ない恋人に対するいらだちや、久しぶりに会えたときの喜び、秘密の恋の苦しみや、独り寝の寂しさ、そんなものがストレートに表現されていることがとても好きなのだ。
 また、当時文字で記録を残せる人たちというのは、一部の特権階級の人々であったことを考えると、やんごとない方々がこんなあからさまなことを書いていることにゾクゾクしてしまう。
 

 万葉集でzineを制作するにあたって現代語訳は必須だと思ったが、これが大変な作業だった。当時の生活習慣や思想に基づいた行動をどう現代語に置き換えればいいのか。そのまま現代語にしてしまうと、全く意味が伝わららなくなってしまうものが多々あり、この行動を今の時代の生活に置き換えるとどうなるのか、と考えながら訳した。翻訳の考え方に関しては、小田島雄志氏のシェイクスピア訳を参考にした。
 きちんと研究をしている国文学者の方が見たら、眉をひそめるような解釈だろう。でも、これは、単なる万葉集好きのおばはんが趣味でやっていることなので、単純に面白がってほしい。

ツイキャスチケットはこちらから。配信終了後も2週間視聴できます。リアルタイムでご覧になれない方は、お時間のあるときにゆっくりご覧ください。

https://twitcasting.tv/medamadou/shopcart/4510?fbclid=IwAR1-NrcXmHV-9rlpeWwOPedLvs3fwcDb95-PcD4Ww7rKwdzih2z41QFyw2k

 

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