もうわきまえない
フリーランスで仕事を続けていく上で「わきまえる女」でいることは重要なことだった。
私はずっと「わきまえる女」として社会の求めるステレオタイプの「女子力」「女性ならではの気遣い」を意識しながら商業写真家として生き延びてきた。
でも、もうそんなことはうんざりだ。
契約先の社長からの割り切ったおつきあいの誘い、広告代理店の営業担当者からの、断っても断っても繰り返されるセックスの要求、クライアントの社長から「ちょっと付き合って」と言われてついていった先はラブホテル…。
すべて私の人格を否定した行動なのに、不快な気分にさせないようにと気を使い、言葉を選びながら、いかに要求を拒むかを工夫しながら仕事を続けてきた。
SNSで繰り返される卑猥なリプライやDM、毎日のように送られてくる男性性器の画像や自慰行為の動画。そういうものを送り付けられても「ブロックするのは失礼じゃないか」と、一瞬、ためらうことがある。それは、たぶん長年身につけてきた「わきまえる女としての嗜み」のせいだと思っている。
私達は毎日のように糞のついた靴で踏みつけられている。糞の靴で踏みつけてくる相手に気を使うのはもうやめよう。
最近目にした「ブロックされる側の青天の霹靂」という2コママンガの一コマ目で、失礼なことを見知らぬ男性から言われた女性が苦笑しながら「すみませんブロックします」と言っている描写があっったが、「すみません」は不要だし、笑みを浮かべる必要もない。
わきまえる女を称賛するのはもうやめよう。
人格を否定し、人権を侵害する相手には同じレベルの失礼こそが相応しい。
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