見出し画像

谷口ひとみ「定本エリノア」~「醜さ」との付き合い方があるのだとしたら

佐渡島さんのツイートで興味を持ち、復刊ドットコムで「定本エリノア」を注文した。1966年の週刊少女フレンドに掲載された、50ページ弱のとても短い作品だ。

谷口ひとみは、デビュー作のこの「エリノア」だけを残して自死。彼女が高校2年生の時のことだ。彼女の遺作ともなったこの「エリノア」は、作家の氷室冴子が「これまでに衝撃を受けた作品」のひとつに挙げるほどで、単行本化されなかったにも関わらず「伝説の作品」として語りつがられた。そして数十年の時を経て、復刊ドットコムを通じて入手ができるようになった。

とても醜く生まれたエリノア。そんなエリノアは魔法の力によって束の間の幸せを手に入れたものの、やはり「醜い」は愛される価値がないと痛感する出来事に遭遇する。そのことに彼女は深く深く傷つきながらも、自分のできることをし、最後は幸福感を感じて死んでいく、というのが「エリノア」の大まかなあらすじ。
ただその「幸福」は一般的な「幸福」とは違い、読後の感想としてはとにかく胸が痛い。ただこの作品がこうやって40年の時を経て語り継がれるのも分かる気がした。それくらい繊細で、そして強烈な作品だった。

「エリノア」を読んで頭に浮かんだのは二階堂奥歯のことだ。彼女も25歳で自らの意思で死を選んだ。彼女が残したのは雑誌「幻想文学」に残した何本かのブックレビューとWEBサイトにしたためた日記だけなのだけれど、生前親しかった人や熱狂的なファンに後押しされ、それは書籍となり、彼女の死から20年弱となった後も語り継がれている。

https://www.amazon.co.jp/八本脚の蝶-二階堂-奥歯/dp/4591090906

谷口ひとみの、そして二階堂奥歯の遺した作品に共通していると私が感じるのは「醜い」に関する嫌悪と絶望だ。そしてふたりともに自ら死を選んだ、ということに、とてもやるせない気分になる。

私にはとてもきれいな親友がいた。一緒に歩いていると彼女はよくスカウトされ、一方で彼女と比べて「醜い」私は見向きもされないなんてことがよくあった。一緒に合コンにいって、チヤホヤされるのは彼女だったし、それに傷つかなかったかといえば嘘になる。
それでも私が「醜さ」に絶望しなかったのは、たぐいまれな「美しさ」を手に入れている彼女であっても、悩み、苦しみ、悲しむことがあり、つまり「美しさ」が万能じゃないことを知っていたこと。
そして彼女と比べて「醜い」私がとりたてて不幸じゃなかったのは、他人が誰かに欲するのは「美しさ」だけではなく、「受け入れてもらえること」「大切にされること」だと感じていたからだ。
「美しさ」が欠けている分、私は誰よりも他人を受け入れ大切にしようと思った。そして「醜い」を敬遠する男性には「絶望」ではなく「縁がない」と割り切った。

特に容姿をとやかく言われがちな女性にとって「醜い」は一大事だ。ただだからといってそれは人生に絶望するほどのことなのか?

彼女達が人生に絶望するにいたった本当の理由は、誰にも分からない。ただ、彼女達が残した作品から感じる「醜い」に対する絶望を、私はとてもやるせなく思っていて、願わくば色々な人の「醜い」との付き合い方が、今「醜い」に苦しんでいる人に伝わればいい。そんなことを思う。

谷口ひとみの、そして二階堂奥歯の作品をもっと読みたかった。自ら命を絶ってしまうというふたりの人生の終え方が残念でならない。

■DRESSで記事を書かせていただいております。記事一覧はこちら。
Project DRESS :https://p-dress.jp/users/2091

■各種SNSをやっています。フォローいただけると嬉しいです。
Twitter:https://twitter.com/makicooo
Facebook:https://facebook.com/makicoo

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?