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2019/6/12 「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」感想 / 他人事では断じてない

以前参加した読書会で、次の課題図書として紹介されたのがこの本だった。結局その読書会にはそれきり行かず、だからその場でKindleで買ったもののしばらく読まずにいたのだけれど、ふとそういえば、と手にとったら、これがすごい本で、あっという間に読み切った。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の著者の米原万里さんは、両親の仕事の都合で、10歳から15歳までチェコのプラハ・ソビエト学校で学ぶ。本作はその時にクラスメイトだった友人との思い出を綴った作品だ。ただの思い出話ですまないところは、その後大人になってから彼女がその友人達との再会を試みるところまでが1セットになっていることだ。かつて東欧に住んだ彼女たちを訪ねる=激動の歴史を辿ることになる。いささか呑気な少女時代の記憶と「その後」のギャップに心を強く揺さぶられた。特に「白い都のヤスミンカ」で友人の消息をたどっていたらボスニア=ヘルツェゴビナのサラエボにいきついた時には、作者同様に、私の背筋まで凍った。

民族浄化、というと、あの忌まわしいナチスによるユダヤ人大虐殺を頭に思い浮かべる人が多いのだけど、実は今でもたびたび行われていて、そのうちのひとつが旧ユーゴスラビアの内紛の際に行われたサラエボでのセルビア人大虐殺だ。ちょうどあの紛争が始まった頃、私は中学生で、地理の先生の意向で世界各国の国名と首都名を暗記していて、「ペレストロイカ」を発端とした政治的な動きによりどんどんと国が増えていくのを、困った困ったと憂えていた。
それがどんな意味を持つかを知ったのはずいぶんと大人になってから。当時何が行われていたかをきちんと知ったところで、何かできた気は一切しないのだけれど、それでも作中で米原万里さんがクラスメイトを訪ね「その後」を紐解くたびに、私はなんともいえない後ろめたさを感じ、そして平和というのがいかに儚くて、時には一瞬で破壊されてしまうということから目を背けたくなった。

だけど、今、私には1歳の娘がいる。願わくば本作に描かれているような豊かな少女時代を送ってもらいたくて、ただ断じて戦火や弾圧に怯えてほしくはなくて。そのためにいったい自分に何ができるのか、答えがでない事をついついぼうと考えている。


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