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「港区女子」あるいは「女子大生」、そして「アラフォー」というコンテンツ

先週、梅木雄平さんの書いたこの記事が話題だった。

少々複雑な思いでこの文章と向き合うのは、自分もかつて「港区女子」に近しい「女子大生」というコンテンツだったからだろう。親友が銀座で働いていた恩恵を受けて、当時「港区おじさん」ならぬ「中央区おじさん」からとてもよくしていただいた。
自身が「女子大生」というコンテンツであるが故に受けられる恩恵。それは一緒にご飯を食べるだけでありがたがられ、タクシー代だ旅行代だと現金を渡される事に象徴されていた。肉体関係を求められることは一切なかった。ラグジュアリーなご飯を美味しいと喜び、カラオケでタンバリンを叩いているだけで、とても満足していただいた。
「鮨さいとう」的な店を自分から予約し誰かを誘うことはなかった。ただ、何か食べたいものある?と聞かれた際の「このお店行ってみたい!」と伝えるリストのメンテナンスは欠かさなかった。

そんな「女子大生」というコンテンツであることを享受した呪いだろう。年をとるのがいつからかものすごく嫌になった。特に38の誕生日、アラフォーであることに、呆然とした。
いつまでもタンバリンを叩いてさえいればいいとは思ってはいなかった。ただ、いざ「40歳」が間近に迫ると、自分が「オワコン」であることを可視化された気分になった。人間、生きている限り進歩するものだと思っていた。ところが恐ろしいことに、「若さ」だけは劣化した。

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40になる今年からは思うことがあって、アラフォーアラフォーと口にするようにした。

最初は、もう若くはない事を公にするのに、こんなエネルギーを必要とするのかとびっくりした。 ただ不思議と「アラフォー」と口にするたびに、気持ちが軽くなった。

正直「アラフォー」自体に全く価値がない。「港区女子」、「女子大生」とは雲泥の差だ。ただ「アラフォー」という言葉の響きがあまりにも残念なだけに、何かを掛け合わせた時に、妙な面白さが出る。「アラフォー✖︎靴」がテーマのこの話は友人からも好評で、私も靴を買いに行ったと声をかけてもらった。

「アラフォー✖︎読書」がテーマのこの話は、元記事をサマセット・モーム研究者の方に、言及いただいたりもした。

そして何より、タンバリンを叩くだけで喜ばれることはなくなった分、ここから先の人生、何も失うものもない。

これはすごいことだ、そして有難いことだ、そう思う。

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