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38/100 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」/陰があるが故の光

新年に手に取る本、訪れる場所にはどうしても「縁起」を担ぎたくなる。

2021年、執筆業を再開し、そしてメディアに出ても後悔しないように、綺麗になりたい私が手に取った本は、ノーベル文学賞候補に何度もあがった谷崎潤一郎の名エッセイ「陰翳礼讃」、ひとり時間の場所に選んだのは、奥渋谷髄一の映えるスポット、Fuglen Tokyo。



陰翳礼讃、西洋式の美の流入によって追いやられ(と筆者が感じた)廃れゆく日本の美を懐かしむような内容なのだけれど、何とこの本、今では「西洋」の建築家やデザイナーが「美の入門書」として手にとるべき本としてあげられている。デンマークでは建築やデザインを志す学生達の必読書なんだそう。

1933年に発刊された本だというのに、昨年もNHKで特集された。


が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的の添うように陰翳を利用するに至った。
(中略)
われわれはそれでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。
谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

私が座った3人掛けソファの斜向かいには、GAFAを退職したばかりだという白人男性。二、三度この店で君を見かけたことがある、と私の隣に座る別の外国人男性に熱心に話しかけていた。
異国の地で正月を迎え、新年2日目をひとりカフェで所在なさげに過ごすその男性はどこか「陰」があり、だからこそ意気投合できる、英語が通じる男性が隣にきたことに「光」を見出したようにみえた。

私にも「陰」がある。子とべったり過ごす年末年始にいささか辟易し、逃げ出すように家を出た。
おかあさん業は楽じゃないのだ。だからこその、この甘美な、贅沢な時間。

帰ると約束した午後3時、少し前に店を出た。自転車を漕ぎながら、「陰」がある故の「光」について書こうと思った、2021年書き始め。


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