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たとえばセルジオ・ロッシのハイヒール

先月セルジオ・ロッシの靴を買った。

2017年に40歳を迎えるにあたり、いいモノを身につけようと思ったのだ。セール中だったとはいえ、50,000円弱。そんな高い靴を、生まれて今まで履いたことがなかった。

渋谷西武のセルジオ・ロッシの直営店に足を踏み入れる時、そういえば仙台の高校を卒業して東京の大学に進学する時、同じような気持ちでシャネルのカウンターで口紅を買ったことを思い出した。あの時も怖気づきながら、だけど店員さんに絶対悟られたくなくて、とにかく背筋をピンと伸ばすことだけに集中した。

家に帰って、さっそくコンビニに行くついでに履いてみた。9cmヒールなのに、とにかく歩きやすい。足の裏に靴底がぴったりと吸い付いて、そして軽い。
これがラグジュアリーな靴の実力かと感動した。靴なんて消耗品だし、お金をかけるなら一番最後だと思ってた。ただちょっと履いてみただけで、私はこの靴のファンになった。足もすごく綺麗にみえるし、何より上京するにあたって買ったシャネルよろしく、ささやかな「自信」を私に与えてくれた。

世の中には、それこそ10代の頃からずっと、ラグジュアリーな靴を履いている人がいる。ただこういう買い物をした時、心底そうじゃなくてよかったなと思うのだ。私はそうじゃない靴を今までたくさん履いてきた。カカトがすぐに折れてしまった靴。何度履いてもすぐに靴ずれしてしまう靴。何かあると脱げてしまう靴。そんな靴達を知っているからいっそう、セルジオ・ロッシが有難かった。

知らないことを知る、というのは人生の大きな楽しみだ。そして未経験のことがどんどん少なくなるアラフォーまで、この「いい靴を履く」の楽しみをとっておけたことは、私にとってすごくよかったと思っている。

私が今所有しているモノ達をざっと見渡すと、ずいぶんとアップグレードの余地がある。このモノの分だけ、「自信」の余地がある。



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