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叶わぬ「今までの自分」との対話

日に日に大きくなっていくお腹と、強くなる胎動。腰が痛い、体が重い、階段で息切れがするなど日常生活への支障が大いに出始めているものの、それでも「妊娠」ていいものだなあと思う。自分の中で別の誰かが育っていくという奇妙な感覚、これは今まで40年間生きてきて全く知らなかったものだ。
どう考えても私は、このお腹の中の人にとってとても重要な存在だ。こんなにも誰かの命に密接に関わることは未だかつてなくて、責任重大だし、そしてそのことを嬉しいと感じる。

一方で心の中に未だ引っかかっているのが、ついこの間までの自分の気持ちだ。子どもを持ちたいと願う人が世の中の大多数を占める中で、いくつになってもそれに及び腰だった「今までの自分」。マイノリティだという後ろめたさを持つ一方、「産まないと1人前じゃない」みたいな世の中の風潮がとても嫌だった。特に前の夫と離婚してからずっと意識していたのは、子を持たない女性の生き方。だから去年、再婚せず、未婚のまま40歳の誕生日を迎えた時、「産むか産まないか」から解放されたように感じてむしろ清々しかったし、「産まないと1人前じゃない」な世の中に一石を投じる存在になろうというのが、私がその後の人生で志そうとしていたことだった。

だからこうも、今の自分が「妊娠」を受け入れ、かつては物理的負担としかとらえられなかった「育児」についてもどこか楽しみにしている状況を、それまでの自分が冷めた目でみている。結局そっち?と語りかけてくる「今までの自分」がいる。

実のところ、「今の自分」は「今までの自分」に対し、妊娠・出産・育児に対して身構えすぎていたのでは、という感想を持っている。大変なこともあるけど、これはこれできっといいものだよ、と頑なにそれに背を向けていた「今までの自分」に、伝えたいとすら思う。
一方で「今までの自分」は、そんな助言を受けるたびに有難迷惑に思っていた。人生でやりたいことの優先順位が違うだけ。「今までの自分」にとって、妊娠・出産・育児というのは、やればそれなりに楽しいのだろうけど、「それなり」のことだった。

当たり前だけど、人はひとつの人生しか生きることができない。

「産まない人生」を謳歌しようとしていた、ついこの間までの、「今までの自分」。遠のいていく彼女の背中をみながら、何か声をかけたくて、だけど分かり合えないのだろうとも一方で思って。せめて「今までの自分」が抱いていた気持ちは、決してこれからも忘れないようにする。そう思う。


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