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かんぺきしゅぎなじぶんがスキだった。


完璧な人間はいない

だから完璧主義であることは無意味

完璧さを求めるより
とにかく行動せよ


その通りだと思った私は
完璧主義を捨てた。



そして

完璧に出来なくていい自分を
愛せなくなった。



思えば30数年、
ずっと長女として生きてきた。

私の故郷では
まだ男尊女卑、長男が一番偉い
そんな風習が現代でも薄っすらと残っている。

特に田舎は根強い。

祖母は長男である弟を愛した。
親戚も弟を可愛がった。

私はそんな人たちのために、
料理の準備や片づけをすることを教え込まれて育った。


私の家庭は決して貧乏ではなかったが
裕福でもなかった。

無意識のうちに
「家にお金を入れるために、働かなくてはならない」
という刷り込みが私にはされていた。

「なるべくお金を使わないクラブ活動に入ろう」
「なるべくお金のかからない公立高校に入ろう」
「なるべくお金のかからない近い大学に行こう」
「なるべく早く地元に就職しよう」

親にとってはとても手のかからない、お利口な子供だったと思う。

完璧な長女

であり続けたのだから。


それが、大人になって
完璧主義を辞めろと言われた。


きっとそれは、自由であり
呪縛からの解放。


私は何もしない人間になった。


今まで嫌だと思っていたことをしなくなった

今まで無理していたことをしなくなった


ダメ人間になった。


それでも、完璧主義を辞めないといけないの?


今まで完璧主義で生きてきた人にとって、
丁度いい具合なんて分からない。

完璧主義なだけで、
完璧にできていたワケではないし、
完璧にできなかったからといって
自分を責めたり、前に進まなかったことはない。
人生なんて失敗の連続だった。


だったら、完璧主義でもいいんじゃない?


完璧主義を否定することは
今までの、30数年の自分を否定することになってしまう。


私は完璧主義な自分が嫌いだったのではない。


きっと、完璧主義な自分が好きだったのだ。


ねえ神様、

一度捨ててしまった自分のピースを
元に戻してもいいだろうか。


一旦捨ててしまった過去の自分を

もう一度

愛してあげてもいいだろうか。




まき子🍙(@makicome1986


数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。