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カズラ島散⾻記⑧ 会えてよかった

15:15に菱浦港を出港し
七類港に着いたのが17:55

フェリー「おき」

タクシーに乗り込み⽶⼦へ。
ベタ踏み坂はよく⾒えなかったけど
キューピー⼭は遠くにくっきりと。

⽶⼦市内で会うのは叔⺟たち。
従妹(姉)の送迎により叔⺟ふたりと
対⾯……の予定だったが
叔⺟の家族である叔⽗と従妹ズと
従妹の娘ちゃんズもいらしてくれることに。

カズラ島の⽇程がようやく固まった8⽉に
叔⺟のところに初めて連絡したときから ず
っと対応してきてくれた従妹(妹)とは
何度となく電話で話してきた。
お互い、40数年前にちらっと顔を⾒た程度で
それ以来、会ったことも話したこともなく、
それなのに⺟が亡くなっただの、散⾻するだの
会いたいだの捲し⽴てて…きっと困惑したと思う。
びっくりさせて、ごめんね。

ただ、従妹は⺟の帰省の際に何度か会っていて、
「横浜の伯⺟さん」として⺟のことをよく
覚えてくれていた。そして、ぜひ会いましょうよ︕
ということになり、従姪たちも来てくれることに。

従姪ふたりは中学⽣と⾼校⽣。
ムーミン⾕の名⾔シリーズだったら 装丁がかわいいし、
⼿に取ってもらえるかな。

https://www.moomin.co.jp/news/others/82214
ムーミン⾕の名⾔シリーズは新版準拠です。ムーミンシリーズの原書はスウェーデン語で書かれていますが、この「名⾔本」はフィンランドで 発⾏されたので、表紙や本⽂⾒出しはフィンランド語というややこしさ︕NUUSKAMUIKKUNEN=Snusmumriken(スナフキン) PIKKU MYY=Lilla My(ちびのミイ) MUUMIMAMMA=Muminmamma(ムーミンママ) MUUMIPEIKKO=Mumintrollet(ムーミントロール)


すっかり夜の帳が下りた⽶⼦の街で再会。
ご無沙汰ごめんなさいの叔⺟と叔⽗
ほぼ初めましての従妹のおふたり
アイドルみたいにかわいらしい従姪たち
お久しぶりです はじめまして
ずっとずっとご挨拶できないままで
本当にごめんなさいでした
おかげさまで⺟の最期の望みが
ようやく叶えられました

カズラ島の写真をお⾒せしながら
⺟の晩年の様⼦をお話した。
突然の⼊院から⼿術・治療になったこと。
コロナ禍でもあり、殆どの時間を家で
過ごしていたけれど、お取り寄せを楽しみ
⾝辺整理をきっちりと済ませていたこと。

また、持ち込み厳禁のリハビリ病院⼊院中に
娘の私に⼤福やキャラメルを密輸させたり、
ユニクロで注⽂したカラフルな服を着ては
んまぁ、畑中さん今⽇もかわいらしい︕と
化学療法室の看護師さんたちにほめられて
うれしそうにしていたり。
そんな⾵に過ごしていた⽇々のことや、
そして、突然だったけどきっと苦しまずに
すっと逝ってしまったことを伝えると
叔⺟たちは少しほっとした様⼦だった……
と思う。

びっくりな事実も判明した。
⽣前の⺟から、隠岐の島には⺟の叔⺟がいる
という話は聞いてはいたのだが、
それが 隠岐の島4島のうちどこの島なのか、
そして その⼤叔⺟はご存命なのかが不明なままだった。

すると叔⺟のひとりから
「叔⺟さんは海⼠町に住んどったんよ。
今は松江の施設にいるけど、元気よ」
と聞いてびっくり︕
今回、散⾻に⾏ったのはまさに海⼠町。
⾏く前にちゃんと訊いておけばよかったな。

⻑い間失礼千万だった私たちを
叔⽗夫婦に会ったときと同様に
ほんの少しも咎めることなどなく、
来てくれてありがとう︕と⼿放しで
歓迎してくれた叔⺟たち。
こちらこそ、お会いできてよかったです︕
⺟が繋ぎなおしてくれたご縁に
感謝感激の2⽇間だった。

その夜は 皆⽣温泉に宿泊。
実は初めて⾏った皆⽣温泉、
ここも⽬の前は海︕

ひたすら海︕⽇本海がどーん︕

時間によって⽔の⾊が変化していく

翌朝9時にはホテルを出発して
再び ⽶⼦⻤太郎空港へ。

⿃取にスタバはないけどスナバがあるぜ︕のすなば珈琲。
(現在は⿃取にもスタバは5店舗ある模様)

すなば珈琲のHPは⾯⽩過ぎる
あっという間の2泊3⽇でした。

⺟は、⾝軽に⾃由に好きなところへ旅をしたり
のんびり眠ったりしているんだろうな。

⺟(46歳当時)


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