わかってもらうのを諦めてしまっていた。
グラレコ描きたい描きたいと言いながら、グラレコを使って何かまとめたものを提供する、ということが多くて。
グラレコと言いつつ、イベントレポや会議のまとめのグラレコ風、みたいなのをよく描いている。
私の思うグラレコとはちょっと違うんだよなぁと思うけど、それが求められているしそれはそれで楽しく描けるしいいか、と。
描くことや描いてまとめること自体が楽しいから、ほんとのグラレコの価値とは、っていちいち説明しなくて描いてしまうことがほとんどだ。
わかる人にわかってもらえたり、描いてて気づいてもらえたらいいかなと思って。
グラフィックを使ってあとからきれいにまとめた映える記録、というようなものを「グラレコ」という人が多いと思う。
なんなら、グラレコで描くときのゆるいタッチで描くとそれを「グラレコ」って言われたりもする。
確かに単純な訳をしたら、「グラフィック」での(絵や図や記号などを使っての)「記録」だったら、グラフィックレコード、ってなるのだろうけど。
「グラフィックレコード」は記録だけど記録だけではなくて、それがグラレコのほんとのよさだと思う。
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その場で、そのときの対話や場の状況や雰囲気などを表していくのが「グラフィックレコード」で。
可視化することで、そこにいる人たちの間の対話をうながしたり、意識合わせをしたり認識ずれを確認したりできる。
そのときの描いた結果は、「グラフィックレコード」ではあっても、グラレコのすべてではなくて。
描いた結果に残るものでなくて、描いていくときに起こるプロセスがグラレコの価値だと思うのだ。
だから、単に記録するときでも、そういうプロセスを記録したい。
文字では残さない、または残しにくい、グラフィックでしか残せないような空気感や感情などを記録したいと思っているし、それが楽しい。
で、やっぱり、リアルタイムで目の前で描いて、それを見た人たちがイベントなどを思い出しつつ語り合ったりするのがいいよね。
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可視化によって何かをうながしたり変化を生み出したりするという意味では、「グラフィックレコード」よりも「グラフィックファシリテーション」なのかもしれないけども。
私にとっては「グラフィックレコード」がしっくりくる。
「ファシリテーション」ほど介入する気がなかったり、自分がうまくファシリテートできると思えていないところもあるけど。
ただ可視化するだけで、そこに何かを置いておくだけで、そこにいる人たちは何かを感じたり考えたり気づいたりして動いていくだろう、というのを信じたいからというのもあるかもしれない。
ただ待つ余裕があるとは限らないし、問いを投げてみるのも好きだけど、自然発生的に起こる何かはきっと問いかけて起こる何かとは違うだろうし、待つ中で生まれるプロセスがおもしろいだろうと思う。
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ただ、そういうプロセスのおもしろさとかって、好きな人は好きだろうけど、どうでもいい人もいそうだし。
「グラレコ」がまぁまぁ知られるようになって、中途半端に知っているから余計に説明しづらいし。
そんな風に思って、ほんとはグラレコってさ、っていうのを諦めてしまっていたのだけど。
「こだわってないならいいけど、それでいいの?」って聞かれて、ほんとはいやだ!と思った。
もっといいものなのに、ただきれいなわかりやすく見えるまとめ、くらいの価値にしか思われないのは悔しいし。
それを求める人にはそれでもいいけど、それ以上の価値を求めてもらって、ちゃんとグラレコでもっとできることをやれるのがいい。
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だからちょっとでも興味をもってくれてるなら余計に、もっとしっかりグラレコのほんとのよさを伝えたいと思う。
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