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しばらく空を見上げてなかった。

ふと気づいたら、写真の中にほとんど空の写真がなくて、最近空を見ていなかったんだな、と驚いた。

空を見るのが好きで、毎日のように空をながめてたはずなのに。
わざわざ夕暮れどきに外見に行くほど好きなのに。

ここ数ヶ月で数えるほどしか空の写真がない。
というかいつもなんでもかんでも気に入ったものやかわいいものきれいなものを撮りまくるのに、ここしばらく写真自体がすごく少ない。
桜も大好きで毎日同じ桜を見てても毎日のように撮りたくなるのに、それさえも数えるほどしか撮ってない。

目には入ってたはずなのに。
三日月だな、満月だな、夕焼けだな、って、外に出たときに見えたのに。
満開になってきた桜とか、桜吹雪とか葉桜とか、記憶にはあるのに。

ドアを開けたときとか、道に出たときとか、ちょっとはまわりの景色が目に入るのだけど、見れてなかったんだな、と思う。
見れても、立ち止まってる余裕がなかったのかもしれない。

最近ずっと、どたばたして急いでいたし、歩きながらぼーっと空を見るのでなく、考えごとしたりスマホ見たり下を向いていたんだな。
まわりの景色は見えているようであまり見れていなかった。

つかれてるときにのんびり歩くのではなく、遠くを見るのではなく、SNSで好みの写真とかイラストとか見てまんが読んで本読んで寝落ちて。
ずっと近くばかり見てて、身体もきゅうっと縮んで固まっている感じ。

そういえばこの前深呼吸をしたときに、すごいひさしぶりに身体に空気がとおった気がした。
呼吸が浅くなってたんだな、と思った。

きれいなものは好きだしいやしだし、だからきれいなものを見ていたいのだけど。

TwitterやInstagramにはきれいなものがたくさんあって、すばらしくきれいに切り取られたり加工されたりした、つくりこまれた美しさがあって。
まんがや本の中にもきれいな世界があってきれいな絵があって。

それはそれでほんとに好きだけど、空とか雲とか月とか花とか樹々とかの、そのときその瞬間にしか見れない美しさもすごく好きで。
いくら写真できれいに撮れても見たのと同じにならない、いくらきれいだからと写真におさめても一瞬あとでしか撮れない、自分の目で感じるしかないきれいさが好き。

撮れないけどちょっとでも残したくて撮りたくなって、実際見たのとは違うけど写真は写真でいい感じに撮れたりしてそういうのも好き。

それなのに、そんな風に見るのを忘れてるなんて、私にとっては結構大変なことで。
せめて空を見上げるくらいの余裕はいつも持っていたいなと思う。



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