見出し画像

できるんじゃなくて必要だからやるだけ。

つながりがある方がいいじゃん?もっと気軽に声かけてみていいじゃん?って思ってはいるのだけど。
(気軽に声かけていいと思うのは、声かけて受け取るかは相手次第だから、っていうだけで、声かけたんだから応えてくれよ、って思うならやめた方がいいと思う。)

社内だろうが社外だろうが、自分がわざわざ声かけたくない、つながりたいとまで思えない、という人に声かけたりしなくていいとも思う。

つながれたらおもしろそうとか、つながれたらメリットがあるとか、必要だからとか、理由はなんでもいいけど、自分が望んでないと関係性つくるの難しいし続かないし。
望む相手とつながればいいだけで、いろんなつながりを持つべきだから!みたいに無理にがんばらなくていい。

声かけてみたらいい、連絡してみたらいい、とか言うと、「そんなにかんたんにできない!」って言う人も多いけど、それはその程度しか必要としてないのだろうと思う。
声かける、連絡する(メールとかチャットとか)などというのは、行為や操作としてできないわけじゃないよね?

自分にとっての必要性と、心理的ハードルとかめんどうさとかとの比較だと思うし、そこまで必要じゃないなら別にしなくていい。
逆に言うと、必要になれば、やりたくなれば、できるようになる。

営業メール、メッセージとかにも似てると思う。
これも、「知らない相手にメッセージ送るのとかできない!」「平気でできるのすごいね」とか言う人いるけど、「断られるとつらいからやりたくない」「突然メールすることへの心理的ハードル」と、伝えたい誘いたいための必要性と、どっちが大きいかの問題だよね。
ほんとに必要なら、平気かどうかとか断られたくないとか関係なく、連絡するし届けようとする。

軽やかに息をするように自然に、人とつながったり連絡したりPRしたりできるような人もいて、そういう人がうらやましいし憧れる。
だけど、だいたいの人は、必要性に迫られるからできるようになって、やってるうちに慣れてもっとできるようになって、似たようなことにも取り組みやすくなって、の繰り返しで、できるようになっていくのだと思う。

そんなのできないな、って思うなら、そんなに必要に迫られていないだけで、それはそれでいいことなんじゃない?

だけど、そういう、ハードル高くてできないと思う人こそ、ハードル低い場で慣れておくと、必要になったときに楽だから、やりやすいところからやってみたらいいとも思う。

ライティング・ライフ・プロジェクト2024年8月期募集中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?