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ネコの子守歌

 母親は、ハタキをパタパタ使いながらいつも歌っていました。
 待てど暮らせど 来ぬ人を
 宵待ち草の やるせなさ
 あるいは、
 命短し 恋せよ乙女
 赤きくちびる 褪せぬ間に
 母親の歌はたいてい最初の一節か二節だけで、あとはムムムと鼻歌になってしまうのでした。私たちが手を焼かせた時なのでしょう、よく歌っていたのは、
 人の気も知らないで 涙も見せず
 あきらめましょ あきらめましょ 私は一人
 ずっとのちに買った古いシャンソン特集のCDで、ダミアという人がこの前半のメロディーを歌っていました。この歌ほんとにあったんだあと感動したものです。後半はフランク永井の「君待てども」ですよね。
 のちの日に、私がそんな歌の一つを歌っていたら、母親が、
 「あんたそんな戦前の歌、なんで知ってんのよ!」
 「お母さんが歌ってたんじゃないさ」
 「あらそうだったかねえ」
 
 ある時、小さい妹を寝かしつけようとして、母親がねんねんころりを歌っていたのですが、なかなか寝つかないので、
 ねんねんネコのケツに
 カニが這いこんだ
 やっとこさっとこ引きずり出したら
 また這いこんだ
 私は笑いころげて息が切れました。そのあと、ネコの子守歌を歌ってよと言っても、
 「やあよ、あんな下品な歌」
  お兄さんたちが歌っていたそうです。
 
 母にはお兄さんが三人いました。上の兄さんはレイテ島から帰って来ませんでした。「ああ、その部隊は全滅ですから」と言われただけでした。のちに父親の本棚にあった「レイテ戦記」を読んで、全滅した部隊が一つや二つでなかったことを知りました。下の兄さんはニューギニアで戦病死したとのことですが、届けられた遺骨箱は空で、石ころが一つ入っていたとか。真ん中の兄さんだけが、満州からかろうじて帰って来たのです。
 軍人恩給の申請におじいちゃんが役所に行った時のこと。窓口の人が、「なんだ戦病死か」とつぶやいたので、おじいちゃんは烈火のごとく怒りました。
 「戦病死だろうとお国のために死んだのにかわりないだろう!」
 ついにその人を平身低頭あやまらせたそうです。
 
 ニューギニアの戦史を読んだところ、友軍と合流するため、米軍を避けてジャングルの中を迂回することを繰り返し、戦闘もないまま道端で病死や餓死する兵士が続出したとか。そういう戦病死だったのか。椰子やしの木陰のテントの中で寝ているおじさんの姿を思い描いていたんですけどねえ。
 
 ところでネコの子守歌は、お兄さんたちのオリジナルではなかったようです。ネットで検索したら、各地に伝わる子守歌で、ネコのケツに豆が舞いこんだなど、いろいろバリエーションがあるようです。


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