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【読書】わたしのアジールとは?~『日本習合論』より~

内田樹先生の御本『日本習合論』(ミシマ社)を読み始めました。表紙はこっくりとした緑色に金の箔押しで、思わず手に取りたくなる装丁です。

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日本習合論  2020/9/ 内田樹 (著) ミシマ社

タイトルに習合論とあったので、本を開くまでは神仏習合について書かれた宗教の専門書だと思っていたのです。ところがそうではなく、「習合」というひとつのキーワードを手掛かりに、日本文化の諸相を論じる、という趣向の本でした。

たいへん読みやすく、まるで内田先生が自分の目の前にいて、「最近はこんなことを考えていてね、」と語ってくださっているようです。それもそのはず、これは「書き下ろし」ならぬ「語り下ろし」。ICレコーダーに録音された声を、文字に書き起こしたものなのだそうです。そう言われてみると、お話されているうちに「乗移(の)って」きたような箇所もチラホラ。

なので、どこから読み始めても、部分的に読んでも大丈夫なつくりになっています。パッと開いて目に飛び込んだ見出しが、自分のいまのテーマ…というビブリオマンシ―的な読み方もできそうです。もちろん、前書きからじっくり辿れば、論の展開の美しさを味わうことができます。

きょうの私の目に飛び込んできたのは、「アジール」という言葉でした。フランス語で聖域、避難所、自由領域という意味らしいです。「何かあっても、ここに行けばなんとかなる」という、緊急避難先としての場所。

内田先生が主宰している凱風館も「アジール」としての役割を果たせる構えになっているそうです。七十畳の道場は、災害が起きた時に人々が寝泊りする場所にすることができ、水や食糧の備蓄もそれなりにある。困窮した人が駆け込める「歓待の場所」として開かれているのです。(p28)

さらに、凱風館のメンバーは家族をあわせると数百人の規模だそうで、生活に必要なものがあると、だいたいは共同体の中でまかなうことができるといいます。「子どもに碁を教える」「魚を三枚におろす」「着付けをする」…自分の得意な技能を持ち寄り、「ペイフォワード」形式で循環させていく。(p176)

ああ、なんと羨ましいと私は思うのです。私には属する共同体がない。いざという時に助け合える相互扶助的な共同体が。職場にも、地域にも、親族にも…。

ここには相互扶助それ自体を目的として加盟することはできません。合気道にも学塾にも興味はないけれど、仲間に入れてほしいという人は参加できません。(中略)どんなことがあっても道統・学統を絶やさないために組織がある。その組織を維持するために相互扶助的にふるまわざるを得ない。目的は道統・学統の継承であって、相互扶助はそのための手段です。(p179)

浅はかな私の願望を見透かされているようです。浅はかといえば、一度だけ、内田先生とお会いしたことがあります。合気道の体験講座に参加させていただいたのです。正直、ミーハーな動機でした。稀代の思想家と生で会ってみたい! 同じ空気を吸えば頭が良くなれるかも! いつもは濃い色のペディキュアを清楚な桜色に変えて、ルンルンで体育館に着いた私は、浮かれ気分で参加したことを少し後悔しました。指導中の先生は凛として厳しく、話しかけることなど到底できない気迫を感じました。(個別指導の時は私があまりにも下手くそだったのか、優しいお顔でした♪)

ああ、凱風館のお話を聞けば聞くほど、うらやましい…。こうなったら、私自身が人々の避難場所、「アジール」になるしかないのでしょうか。

「パスをつなぐ」という言い方を僕はよくしますけれど、(中略)贈与と反対給付で回る共同経済でも同じです。そこでプレイヤーに求められるのは「誰も思いつかなかったようなパスコース」を経由して「誰も予測できなかったプレイヤー」にボールを贈る創造的な力です。(p177)

自分の技能(ボール)を、予想外のコースを経て予想外のプレイヤーに送ることができたら、私も自分の「アジール」を作ることができるのでしょうか?

そんな事を考えた休日でした。

#読書 #内田樹 #日本習合論 #アジール #贈与 #共同体



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