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春の嵐、降り注ぐ光を集めて

春の嵐は好きだ。変化は逆風に見えるときもある、けれどその先には明るく穏やかな日々もあるのだと思えるから。

 *    *    *

信号待ちのあいだ、雨粒をちらしながら強く吹く風を避けてビルに駆け込んだ。すると視界の先にひっそりと花屋さんがあった。よく通る道なのに、まったく気づかなかった。平凡なアレンジメントのすき間に、おっと思うようなめずらしい多肉がある。オーガスタはずっと売れずに残っているのか、葉がみっちみちに切れているがモンステラは活き活きと葉を広げている。アイビーはわんぱくな感じに元気。好きなタイプの花屋さんだ、と思った。今度、雨じゃない日に買いに来よう。

信号が青に変わった。傘をまた広げて大通りに進み出ると、夜景がやけにきれいに見える。よくよく考えると、今日はふだん使っている雨傘ではなく、急に降られてやむをえず買ったビニール傘を使っていたのだった。透明な膜越しに見ると、雨粒のひとつひとつにサファイヤやルビー、アメジストの色が宿って、その背景に高層ビルの窓の光がまたたく。いつも使っている雨傘はお気に入りだけど、ビニール傘がこんなに、降り注ぐ光を集めてくれるかのような視界をもたらしてくれるなんて思いもしなかった。嬉しくてずっと上をむいて歩く(あぶない)。ビニール傘が、私の視線を上に向けてくれた。

毎日は同じことの繰り返しのようでいて、でも鴨長明が1000年近くも前に書いたように「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」なのだろう。手にするものが変わるだけで視界も変わる。それが547円の、ただのビニール傘であっても。そこに降り注ぐのが、毎年繰り返されるただの春の嵐であっても。なんとなくいいことにつながっていきそうな気がした、それが今の私への、プライスレスなギフトなのだろう。きらめく光のうしろに、吸い込まれそうなほどの闇もまた見えているとしても。


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