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こころをなくす

「忙しいという字は、『心を亡くす』という意味なんだよね……」

……といった感じに、漢字を妙にバラして行われるイイ話をされるとそっぽを向きたくなるのは、私が心を亡くしている証拠なのだろうか。特に20代、好きな仕事を追い求めてがむしゃらに駆け抜けた数年間はよく言われた。カリカリしていたし、顔つきも良くなかったのだろう。私を思っての忠告であるとはわかっていても、言われれば言われるほど心は亡くなっていくような気がした。だって忙しいんだもの。偉そうに説教しているあなたが代わってくれるわけでもないでしょう。やんのかコラ表へ出ろ、とまあそこまでは思わなかったが(いや思ったわ)、たいがい狭量なことを考えていた。これが「心を亡くす」状態かなと、こうやって書いて改めて思い知る次第である。

それから随分長い時間が経って、私は徹夜ができなくなり、深夜のバーではスコッチの味より眠気のほうが勝るようになった。しかし生きていると何気に成長もするもので、「心を亡くす」のは随分と上手くなった。なんと亡くし方をマスターしたのである。

心の亡くし方には、私なりのルールがある。まず、人に対しては亡くさないと決めた。自分に対しても、できるかぎり亡くさない。亡くすのはネガティブなことを考えてしまう心、不安にとらわれてしまう心である。そこのところをちょうど亡くせるように、うまいこと忙しくするのだ。忙しくて心を亡くしそうなときは、積極的にここに当てはめる。

心はいきなり全部亡くならない。どんなに忙しいときだって、愛や欲や良心は生きていたりする(人によると思うが)。そのことに気づいてから「そうか、うまく切り分けていけばよいのだ」と思うようになった。年をとると、自分のためならいくらでも都合の良いアイデアを思いつけるものである。

だから不安になると、次の一歩を踏み出して忙しくする。ネガティブなことが心に浮かぶと、それを解決するようなことをして忙しくする。うまくいくときもいかないときもあるけれど、そうやって意図的に心を亡くしていると、いつの間にかネガティブや不安が気にならなくなっていたり、それらを補って余りある何かが得られたりしているのだ。

ネガティブな感情や不安は、放っておくとどんどん大きくなる。その前に積極的に亡くしておくのも、自分への愛なのだよなあと思うのだ。逃げられない、どうにもできないと思うと心は黒くくさった虫のようになる。うまいこと亡くしていくのも、生きる技術なのだ。

  *   *   *

嫌な感情を伴う出来事であっても、こうやって時間差でプラスになることもある。あのとき腹を立てて絡み酒をしたオヤジたちよすまん。卿らの遺志は拡大解釈されて引き継がれているぞ(誰も死んでないけど)。しかしおのれを振り返ってみるに、自分も若いお嬢さんたちには無意識のうちに陳腐な表現で説教しちゃってるのかもしれない。このnoteがまさにそうだったりして、と嫌な予感がするが公開してみるのだ。どきどき。


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