あの日の僕(第1話)━電車
あの日の僕(第1話)━電車
中央線で思い出したのはあの日々
子供の頃の自分が今の自分を見たら何を思うだろう?
この前、久しぶりに中央線に乗りました。その時、あまり思い出したくない記憶が勝手に蘇ったのです。実は、この電車で0歳から小学6年の誕生日まで通院していました。すぐにある絵本が脳裏に浮かぶ。
小さい頃、電車の中で絵本の「ウォーリーを探せ」を読んで、検診の事考えないようにしていた。だからウォーリーを探せ得意だったんですよね。ウォーリーを探せ、読んだ事ありますか?おもしろいです。赤と黄色の絵本がとくに好きです。そして検診終わると梅田にある喫茶店でホットケーキをよく食べた。検診を頑張ったご褒美でした。
検診で注射を沢山打ちました。
手術跡も何度も見せた。
看護師さん、主治医の女医さんが凄く優しかったのはっきりと覚えている。
ほんと、感謝しています。
ずっと、何か恩返しをしたかった。
19歳の時には、違う病気になって、一生治らない事が確定した。続いて悩んでた困難も一生治らない事がわかった。27歳で足を切断するかもしれなくなって入院も経験したけれど、楽しい事とか嬉しい事も色々経験出来ているから、まあいいやと思っている。生きてたら色々ありますよね。ありすぎる。
僕は先天性の病気を持って生まれ、生後3日でお腹を手術しています。それからこの電車に乗って12年、大きな病院に通い続けていました。忘れもしない、12歳の誕生日に主治医の先生に「もう大丈夫」と言ってもらえるまで通院しました。
懐かしい。
あの日からもう20年以上経つ。
記憶力が悪い僕だけど、さすがに病院に行っていた日々は覚えている。
沢山検査をした。
沢山注射もした。
そして、大人になれた。
今スポーツの仕事してるなんて、あの頃の僕が知ってもきっと信じないだろう。
そして、あの頃の僕が望んでいた「小児病棟の壁に癒しを作る」が1つ実現出来たと知ったら、どれだけ喜んだだろう。当事者として、どれだけ必要か知っています。
検診待ちの押し潰されそうな不安、検診中の心の動揺、検診後の一時の安堵、思い出したくないけど、覚えている。その時の病院の壁に、僕は癒しを求めた。けど、あまり癒しはなかった。ほんの少しアンパンマンの絵があったのみ。小学生になるとほかの絵などが見たかった。しかし、そんな事誰にも言わなかった。持参した本を読んで現実逃避をしていただけ。だから本が好きになった。本の中は痛みや不安はなかった。
成長して知ったけど、こういう経験ってみんながみんなしていないんですよね。
あの頃の僕にとってはこれが普通で、これが日常。恒例の日。けど、きっとみんなもほかの人からしたら普通じゃない普通の日って色々あるんですよね。
今できる事を全力でしています。なかなか実現化が難しい中、1つ実現出来た事でこの夢が広がっていく事を今実感している。大切に、真剣に、丁寧に。また1つの病院で実現できるよう、お願いをしています。頑張ります。全国へ。
夢を広げたい~日本各地の小児病棟で写真や絵を展示したい
小児病棟での写真展示が、これでいいのだ、ではないが、自分の言葉、行動、そして多くの方の力で、自分がこういう経験をしてきた事に意味があると肯定出来た気がする。自分一人ではこうはならなかった。関わっていただいた方に心より感謝しています。だから僕も肯定したい。小児病棟での写真や作品展示を広げ、多くの闘病中の子供たち、親御さん、働く方の癒しを作る。これが自分の人生をかけて行う使命だと思う。
人間は自分で『生きる意味』をつけられると思っている。だから人それぞれ違っているし、違っていていいと思う。生きる事、人の役に立つ事、夢を叶える事、大切な人を愛する事、地域を守る事、趣味を愛する事、まだまだ沢山。
そして、大切な人が『生きた意味』もつけられると思う。
病院で写真展示をする夢が叶いました。
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