見出し画像


Created by なま

かつて、鏡に向かってこう問いかけたものがいたそうな。
「鏡よ、鏡、世界で最も美しいのはだれ?」

生まれてこのかた、どうにも鏡というものを好かない。そこに写る虚像であるはずのものが、私を飲み込むように思えてくるのだ。似たような感覚でいくと、自撮りなんてしない。私の見える世界に、私はいない。写真に写ることも、正直に述べれば避けたい事態である。しかし、拒み続けることはできない。なぜなら、社会生活を営むうえで、鏡も写真も、切り離すことは難いことだからだ。写真は私の過去、つまりすでに命のない、捨て置いてきた私の残骸と思えば、まだやり過ごすことができた。しかし、鏡は、現在進行の形でしか、私を写さない。
鏡、その前に立つとき、はじめて私は、「私」の姿を認識する。そのとき、常にその「私」は、私を見つめている。それも、目は合わないにもかかわらず。正面にいるはずの「私」なのに、後頭部のすぐ斜め後ろから、私に問いかけてくる「私」の声が聞こえる。その声は鋭い刃物となって、常に私の胸を乱暴に切り開くようでいて、血こそ溢れはしないが、適確に私の深部を貫く。私は、「私」の言いたいことなど、とっくに知っているのだ。
思えば、この性質が、どれほど私を苦しめることだろうか。今日だってそうだ。用事があったので、街へ出かけた。すると、目に入る行列。みな同じ場所へ赴き、同じように並び、同じような言葉を使い、同じような写真を撮って。これほどまでに同じ動きをしているなんて。そのとき、私はあの感覚を、思い出す。いや、単体でさえ苦手な鏡に囲まれているのだ、むしろさらなる嫌悪感を覚える。そこに映し出されている虚像どもが、私を包み、彼らも問いかけてくる。私はそれを知っているから、先に答えをぼそぼそと呟く。
私は違う、私は違う、私は、違う。あんなバカどもと、わたしは違う。
周りばかり見て周りと合わせているだけのやつらとは。周りばかり見ているやつらとは。
私は違うのだ。私は、私は、違う……?

気がつくと、私は河原へ逃げ込んでいた。河川敷の川辺の段差に座り込み、川幅の真ん中あたりでたわむれている鴨のつがいを眺めていた。胸から尻にかけて水に接して、鴨は水面に浮かぶ。鴨が水をつつくのと同じタイミングで、ボチャっと、足元で聞こえた。見ると、黒い鯉がいた。隣には錦鯉が、そして、またも一匹黒い鯉がいた。しばらく鯉を眺めていた。不意に、「私」の声が聞こえた。
「私よ、私。世界で最も醜いのはだれ?」
身体が震えた。水面に映っているのだ、私が。

サポートされたお金は、創作部の運営資金、文芸雑誌の制作費に使わせていただきます。