今日は久しぶりに外出しましたね。 どこに行ったかは内緒ですけど。 社会的にもウイルス的にも生きづらい世の中ですか、やっぱり空気は読むものじゃなくて吸うもんだって実感しました。 ちなみに太陽に浴びる時間が30分あるかないかで、人間に与えられる影響は大きく変わってくるらしいですよ。 はやく誰にも気兼ねせずに日向ぼっこできるようになるといいですね。 今日は自分が自分の好きなところについて考えてみました。 とは、言ったもののそれができなかったからこうして悩んでるんですよね。
唐突ですがランニングをダイエットとして続けてきました。けど、とうとう走らなくなって2週間。 お腹の前進と食欲はとまりません。 夏バテすることを密かに期待していますが、全くその気配もありませんね。 今日も今日とて楽しい1日です。 そんなことはおいておいて、タイトルにもある通り 今回のテーマは「嫌いより好きを」。 昨日は自分が嫌いな理由とその原因についてなんとなく綴りました。その中でもあったように見方を変えることを意識してみました。 言い換えると"戦略的撤退" 自分が嫌
今日はラーメンを食べました。 ラーメンは好きです。 蕎麦も好きです。 トマトは嫌いです。 この違いはなんでしょうね。 まぁ、そんなことは置いておいて 前に投稿した自分の嫌いなこと 「社会性がない」 について考えてみる。 社会性がないってあまりに抽象的だけど、なぜ私が社会性がないって感じたのは、自分を表現することが苦手と感じたからなんです。 この苦手って自分が求めていた能力に自分が満足していないってことじゃないですか? だとするなら、自分が求める水準を下げてあげれば
今日はついカッとなってしまうことがありました。 反省です。 最近は流行(マイブーム?)のアンガーコントロールとかいろいろありますけど、それって方法を真似することに意味があるんじゃなくて、怒りとは何かってことが理解できたから必要以上に興奮する必要がなくなったってことなんじゃないんでしょうか。 人は知らないものを見ると恐怖するって言うし。 ま、人それぞれだけどね。 そんなことから、『自分を好きになる前に自分が嫌いなところってなんだろう』って考えてみました。それが理解できれば
彼女と別れたのをきっかけに始めました。 よろしくです。 某ウイルスのせいでネット上と現実の乖離に悩まされている人は自分だけじゃないと思います。なんでも自分のことイメージとか考えてることとかけ離れるとすっごい嫌ですよね。そういう意味では今日も日本は世紀末ですね。 そんな世紀末でも自分のことをちょっとだけ好きでいられれば幸せになれるんじゃないんですかね。そんな独りよがりな暇人のぼやきです。 人は考えることで不幸にもなるし、幸せになれたりすると思うんですよ。 でも、その幸せっ