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【読書記録 1】小川洋子「最果てアーケード」


夢を見ると、「見知った景色なのにどこか変」という場所に行くことが多い。地元の神社がありえないくらい広くなっていたり、閉校になった母校の校庭がになっていたり。多分、その時自分抱えている不安だったり、前日の感情だったりが実際の記憶とないまぜになって出来ている夢の世界なんだと思う。そして目覚めたときに、気付いていなかった深層心理と対峙させられた感覚に陥る。最果てアーケードは、「ここ、夢の中で行ったことがある気がする」と錯覚するような、懐かしさと、思い出と、悔恨が漂っている。


「世界で一番小さなアーケード」で「一体こんなもの、誰が買うの?」という品ばかり扱う店と、その品々を買い求める者を、亡くなったアーケード大家の娘「私」の視点から描かれる。


最初の「衣装係さん」の、芝居の登場人物はこの世の人ではなく、役者の体を借りて見えているものだから、新品ではだめだ、という言葉が印象に残っている。衣装係さんは、どんな思いでレースを引きちぎったのか。あてつけでも、恋情でも、一時の感情が起こした小さな行動が、大きな悔恨を残したんじゃないか。それは「私」が感じていた小さな歪みの予兆が、父の死へと繋がると感覚に似ている気がする。


衣装係さんだけではなく、出てくるアーケードの店主やお客さんすべてが、扱うものに覚悟にも似た愛情を注いでいるのが、愛おしいと思う。商いとしての責任。持ち主より長生きしたものと、必要としている人を繋ぐ目。


小川洋子さんの静謐で細やかな描写に、日々の一つ一つを大切に生きようと思える。百科事典少女がたどり着けなかった場所を、紳士おじさんが丁寧に大学ノートと手提げ袋の中に作り上げたみたいに。



大学で教職をとっている友達が、二番目に収録されている「百科事典少女」を題材に模擬授業を行い、授業資料(指導案というのか)をくれた。「百科事典少女」は国語の教科書に使われているようだ。その友達の弟さんが国語で「百科事典少女」を読んで、すごくよかったから読んでみてと姉である友達に言ったそうなのだが、彼女はその時は聞き流してしまったようだ。その後、指導案を作る際にこの作品に心打たれ、これは模擬授業で使おうと思ったそうだ。この短編もまた、最果てアーケードの品物だったんじゃないかと思う。彼女にとって読むべき時が訪れるまで、この作品もまた目を伏せて待っていたのではないかと思う。それは多分私にとってもそうだし、これから読むどこかのどなたかにとってもきっとそう、世界の窪みで息を潜めているんだろう。

漫画になっているの知らなかった!こちらも読んでみたけれど、小説で行間に隠れていたようなことが鮮明で、キャラクターが掘り下げて描かれている。ラストの解釈もこれも考えられるな!と思って切ないながらも面白かった。書下ろしもあり。