悪いのは誰?

ここはどこですか?と、わたしは仕事帰りの路上で、知らない誰かに尋ねました。知らないその男の人は、妙に自信過剰で、劣等感を抱えているのに内面と向き合わず、外面だけをよくして尚、不安げに周囲を伺うような人でした。わたしはがっかりしながらも、「ここはどこですか?」と、もう一度男の人に尋ねました。男の人は言いました。

「ここは、繁華街です」

わたしは笑いました。どうして繁華街に、あなたはいるのですか? どうしてわたしは、あなたに、話し掛けてしまったのですか?

男の人は、おそらく40代後半くらいで、スーツを着て不器用で、法令線が濃くて唇が分厚くて、きっと童貞に違いないと思わせるだけの、悲しい色気を振りまいている人でした。彼は言いました。

「ここは、色々な人が、集まって、いるのです」

男の人は、顔に似合わず甲高い綺麗な声でした。それだけで、世の中のごくごく一部が浄化されたような、とても汚くて腐敗したものが、もしくはとても美しくて汚れきったものが、彼の言葉によって、一瞬にしてろ過してしまうような、そのくらい悲しくて美しい声でした。わたしは言いました。

「わたしはどうして、繁華街に、来てしまったのですか?」

男の人は、青いヒゲをさすりながら、少しだけ、困った顔をしました。もうすっかり辺りは暗かったけれど、毒々しくてうるさいネオンの七色の光が、わたしと、彼を、照らしていました。

「あなたは、酔っていますね?」

男の人が、自信満々に言いました。

「酔ってる女の人は、好きですよ」

そうして男の人は、嫌な笑いを浮かべました。そんな笑い、浮かべなければいいのに。もう一生涯で二度と、浮かべる必要なんてないのに。そんなもの、誰にもどこにも通用しないのに。わたしにも、あなたの未来にも、もちろんあなたの過去だって、全てバカにしてしまうのに。踏み付けてしまうのに。死んでしまうのに。どれほど踏ん張っても、ダメなものは、ダメなのに。

男の人は、言いました。

「これから一緒に、お酒でも、飲みませんか?」

男の人は、とても真剣な眼差しでした。それをわたしは、ほんの少し、かわいいと思ってしまったけれど、悲しい中年のブサイクで醜悪なスーツ姿のくだらない男の、言葉尻をどれほど捉えようとしたところで、わたしのような人間は、あなたのような人間に、付いていくことは、できないのです、それはとっても恥ずかしいことなのです、あなたのような臭いブサイクに付いていくだけの、勇気を、わたしは、まったく、持ち合わせていないのです、ちゃんと毎日鏡を見て、毎日朝も、夜も、しっかり鏡を見て、汚いあなたの黒い肌と、腫れぼったい眼と、気味の悪いしわと、しみと、それから無数の自意識と、そんないろんなものと向き合ってから、女に、声をかければいいのにって、わたしは、思うのです。だから言いました。

「あなたは、とても、気持ち悪いです」

わたしは苦虫を本当に本当に、本当にかみつぶしたような顔を浮かべて、汚い男に、気持ち悪いネオンが路上を染める幼気な瞬間のその向こう側で、むしろこちら側に留まることができる最後の一瞬を捉えて、わたしは、勇気を持って、そう、言いました。

男は、とても、悲しそうな顔をしました。目を見開いて、それから、赤ちゃんのようにピュアな笑いを浮かべて、次に卑屈な笑みを浮かべて、まるで何も起こっていないかのように、すべてが起こって、もう二度と、取り戻せない季節のように、手遅れな何かに手を伸ばして、ふしだらに凝固してしまった存在のように。わたしは重ねて言いました。

「あなたのようなキモい男が、わたしのような美しいメスに、声をかけるなんて、それだけで、良かったですね。それだけで、それだけをおかずにして、残りの人生を、生きていけますね。おめでとうございます」

男はそのまま、発狂しそうでした。頭頂部から湯気を出して、そのまま、後ずさりして、首を振りながら、もう、全てダメなんだ、何もないんだ俺には、なんてことを思いながら、そのまま、じりっ、じりっと後ろに下がって、そうしてとうとう、歩道から車道にはみ出して、はみ出したことにも気付かずに、車道の中央で尻餅をついて、もうすぐ雪が降って積もってしまう僅かな一時の繁華街の路上で、尻餅をつきながら、猛スピードで通り過ぎたはずの乗用車に、はねられて、そうしてあなたの肉の塊は、粉々に砕け散って、わたしの、思いを、悲しくさせるのでした。わたしの、ほんの一瞬の人生の、たかが34年の人生の、彩りのない、彼氏に捨てられたばかりの、わたしの、やつあたりの、矛先の、だけどほんとにブサイクな男の、血糊を、わたしは頬に感じながら、いつまでも、いつまでも、泣いたのでした。

泣きながら、夜が終われば、何か、変わるような気がして。わたしじゃなくて、誰か他の人が、新しい人生を、はじめるような気がして。その誰かと、わたしの人生が、すっかりそのまま、交換できる気がして。

だからわたしは、そのまま笑顔を浮かべて、繁華街を、後にしたのでした。そして自宅近所の居酒屋でウィスキーを呑んで、もっと自宅近所のおしゃれなBARで泥酔して、客として来ていたイケメンに自分から声をかけて、それから素敵な夜を、過ごしたのでした。

あのブサイクな童貞男は、結局わたしの夢にも出てこなかったし、結局そのまま死んでしまったと思うのだけれど、振り返ると、少しだけ、かわいそうな、気がするのでした。

イケメンの腕に抱かれながら、そんな風に、わたしはまた、思うのでした。

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