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ムスコの誕生日。

1月17日。
たくさんの人がなくなった日に彼は生まれた。
出産は当直看護士さんのスットコドッコイな失敗の連続のおかげで鉄板ネタになるくらい面白い展開だった。今でも笑いを取れる(笑)

彼がこの世に産まれ落ちる30分前に大きな揺れがあり、分娩台が揺れ頭上のライトが大きく揺れた。地震がほとんどない地域だったので立ち合ってくれている婦長さんは驚いて動揺されていた。
私は大学とOL時代、関東住みだったので「大丈夫ですよ、震度3くらいです」と伝えた。
微弱陣痛で3時間以上生まれなくてへろへろだったから今彼女にこの場を去られたら困る。
「そうなの、あんまり地震とかないからねぇ」
頭が出かかっている時だものそれどころでは無い。地震からキッチリ30分。6時16分に誕生。

無事我が子を産み終えた安堵と達成感に包まれながら処置を受けて病室にもどった時、たまたま同じ時に出産していた従兄弟と同室だったのでテレビがついていた。
そこには見たこともない光景が広がっていた。

高速道路が倒れ、火の手が上がっている。
「関西方面なんだって」
痛みもわすれて見入った。

時間が経つにつれて惨状が伝わってくる。
出産したばかりなのにあまり見せてもと思ったのかテレビを消されて私も自分と子供のことに集中出来た。

退院して実家に戻ってムスコと悪戦苦闘の日々が始まった。
授乳が上手くいかず精神不安定になっていく過程と関西の惨状。テレビはどこをつけても悲惨だった。
深夜に四苦八苦して授乳している自分。たった一人で苦闘しているのに癒しがなくてケーブルテレビが延々と道路を走るだけの映像を流しているのをみるのが救いだった。
睡眠が取れず追い込まれていく。子供を産むことよりも子供を育てる事の方が大変だとやっと実感した。

1ヶ月経って少しはリズムがつかめて来た頃。ようやく子供と向き合う余裕が出来た。テレビでは相変わらず悲惨な状況だった。
「こんなに人が悲惨な目に合い生命が失われた日に生まれたのだから生命についてちゃんと考えられて大事に出来る子になって欲しい」
と息子に願いをかけた。

実家から関東の自宅戻る日はなんと3月20日地下鉄サリン当日。心配したけど午後には混乱も納まっていて無事自宅に着いた。それからテレビはオウム一色になりその年はあまり良くない年として世間からは記憶されていると思う。
毎年彼の誕生日には「あれから〜年」
と報道される。
その度「ああ、○歳かぁ」というカウントの仕方。
別に暗いマイナスな気持ちという訳ではなく、普通に何歳か~という感慨。

生命を大切に出来る子に。

なんて考えるまもなく子育てに追われた。

長子は実験台みたいな所があって、ほんとにムスコには今でも負い目がある。ああすればよかったこうすればよかった。あんなこと言って悪かった。あんな風に言わなければよかった。なんてこと山の様にある。そのひとつに
「あんた人がいっぱいなくなった日に生まれたんだから」みたいなアホなことを言った。全くアホだった。

全く関係ない。

自分のアタマで作った物語に酔ったアホ発言。何となくいいことを言っている気になって。意味なんか無いのに。

全くこんな子になって欲しいあんな風になって欲しいとか。

アホか。

全く黒歴史だわ。
思ってても本人にそんなアホなこと言っちゃダメよね。

今年親にしてもらって25年になる。

あの日から25年。
月日が経っても子供を失った悲しみが癒える訳ではない。冷たくなった我が子を抱きしめ夜を明かした親御さんはたくさんいるはずで。
それを思えば。

子供は生きていてくれたら、それで。
生きて、たのしく暮していてくれたらそれで充分。
私が年老いてヨボヨボになったら笑って「ババァ」とか言われてそのうちあちらにいけたら最高です。

偉くならなくても立派じゃなくてもいいわ。
生きていてバカ話出来ていたら最高だ。

誕生日おめでとう✨

またアホな話でバカみたいに笑おうぜ👍





ちょっと寂しいみんなに😢