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叔母のおひさ/エッセイ

先週、福岡に帰省する予定があったのを、やめた。
理由は複数ある。
取り組んでいる作品の執筆が佳境であること。
連れ合いが健康診断に引っかかり、再検査の結果を待っていたこと。
そして、なんとなく、勇気が出ないこと。

迷った。
チケットを払い戻すには手数料がかかるし、叔母二人も首を長くして、私の帰りを待っている。
けれど私は、帰らないという選択をとった。

執筆も一区切りつき、連れ合いの病気も命に関わるものではないと判り、昨日のこと、珍しくぽっかりと空いた時間で、ツイッターで人気の性格診断をやってみた。いくつかの質問に答えた後、「自分を動物に当てはめると何か」という結果が出る。
実は半年ほど前に一度やっているのだが、質問の数が多くて、一々どんな回答をしたのか正確に憶えていない。
今やってみたら違う結果になるのではないか、と思ってやってみたけれど、半年前と全く同じ結果になり、笑う。

私を動物に当てはめると「ヤドクガエル」らしい。
ヤドクガエルとはどういう生物なのか詳しくは知らないが、名前の響きからして、可愛げがないことだけは確かだろう。

結果のすべてを載せるのはいくらなんでも冗長に過ぎるので、要所だけを記す。

・人を信用していない孤高の変わり者
・存在感だけは異様に放つ
・故にどこに行っても目立ってしまうが、明るい雰囲気はないから人気者になる運命ではない
・何事においても自分の主義主張がある
・損得勘定を優先し、お金が大好き
・冷たい人間と思われがちだが、思いやりもないことはない
・部屋が綺麗で掃除が得意
・有名店に並んでまで入ろうとは思わない人

はっきり言って、これまでの人生で試した占いの畴のうち、最も正確に私を表している。
たかだかネットの無料診断といえ、馬鹿にできないものだと思った。

私は私という人間についてよく考える。
あの時ああいうことがあって、だからこんな風になっているのだな、だからこんな考えをする人間になったのだな、この部分は私の生来のもの、あの部分は精神を患ったから後天的なもの、等々、あれこれ考えては文章にする。
すこぶる難儀。

けれど、「自分を見つめる」という作業において、私が避けて通っていた部分がある。
「家族の影響」という概念についてだ。
より詳密に言えば、避けて通っていたのではなく、価値を見出さなかった、ありていに言えば、言語化の優先順位が低かったのだ。
この部分は家族の誰々の影響を受けていて、また別の部分は誰々の影響で、などといった題材よりも、先んじて書きたいものが数多あった。
上に書いたような、自分という人間の精神内部についてあれこれと考える、というのがそれである。難しいし、難しいからこそ、先にやっておきたいと思っていたのだ。幾つかの作品でそれを実現でき、また作品に入れられなかったものは私的なメモで書き、満足している。
無論、その「精神内部のあれこれ」にしろ、親が作った環境、私のために敷いた線路によって作られている部分は大きいのだから、意図せずして「家族」に触れていた部分もあったのだろうけれど、もっと簡単な次元で、たとえば「親譲りの無鉄砲で」に代表されるような、目に見えて分り易い「性格」だとか、「~に似て~がうまい」だとか、つまりは、割と軽めの話題とでもいうべきか、自己を形成する種種の要素たちのうち、分りの良い部分については、その言語化の優先度が低かったのである。

しかし、この性格診断であれこれの質問に答えてゆく中、ああ、これは父の影響だ、ああ、これは母の影響だ、としみじみ思う部分が多く、それを言葉にしてみたいと思った。

私が生まれたのは一九八五年の夏、バブル真っ只中の福岡市中心部である。
両親にとっては結婚十一年目に授かった子で、母方の祖父母にとっては初孫であった。
父方の祖父はすでに他界しており、祖母は、父の妹や弟たちと、東京に住んでいた。
そちら方面の親戚とは、年に一回、お盆の時しか会わない。
母方の祖父母とは家こそ別々だったが、それでも互いの住まいまで徒歩五分、頻繁に行き来する仲であった。

両親が共働きだったので、幼少期の私は、日中を祖父母宅で過ごしていた。
祖母の作った朝ごはんとお昼ごはんを食べ、母の妹である叔母の部屋で遊ぶ。叔母は今で言うニートで暇人ときているから、私の世話はほとんどこの人がやってくれた。
母は三姉妹の真ん中で、伯母も叔母も未婚。
つまり私と妹には、母方のいとこがおらず、祖父母に孫は二人しかいない。六ポケッツというのだろうか、大人全員で私を甘やかした。

私は、父方の祖母のことを「東京のおばあさん」と呼び、母方の祖父母のことを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいた。
たまに会う父方の祖母や伯母、いとこたちが、東京から遊びにやってきて、私に小遣いやプレゼントをくれると、母方の祖父が「気を遣ってもらってすみません」と礼を言う。
私が、父方の祖母の服にジュースをこぼすと、母方の祖母が「すみませんねえ。あとで叱っておきますから」と謝る。
この構図は、「祖父母ー孫」という同関係でありながら、その親疎に大きな差があることの如実さを表していたと思う。

母方の祖父母と叔母たちは、盆や正月の折に会う「親戚」ではなく、日常生活の中に在る「家族としての、祖父母、叔母」であった。
日中の世話のみならず、私にかかる費用の大部、すなわち、衣服、習い事の月謝、私立の学費、寄付金、その他諸諸の経済的援助も受けていた。

緊密な距離にいるから、嫌でも影響は受ける。
顔だけは誰も誰とも似ていなくて、これ本当に家族なのか?全員血がつながってないんじゃないの?と何度も思ったものだが、中身の方は、全員からちょこちょこと影響を受けて、今の私が出来上がっているようだ。

たとえば、
下戸で甘いもの好きというのは祖父、
料理が好きなのは祖母、
数学が好きなのは父、
相手が誰であれ動じないのは母、
本をよく読むのは伯母(母の姉)、 
それぞれの影響を受けているのだ、と合点する。

もう少し挙げると、
・褒められると木に登る。
・個人主義を掲げながらも、スイッチが入ると正義感に駆られ、弱者のために爪を立てる。
・肝が据わっている。
・ついつい場を仕切ってしまう。
これらは祖父の影響だろう。
まがりなりにも会社の社長をしていたのだから、要求されるスペックの一々であるようにも思う。

また、
・忍耐強い。
・独り言が多い。
これらは祖母の影響だ。
妾宅の存在を知ってもなお、祖父に連れ添いながら、死ぬ寸前まで知らぬふりをし続けた。
私は結婚もしてないし子供もいないから、祖母とは比べるべくもないかもしれないが、「一途だね」と言われる所は似ている。
誰もいないひとりの部屋で、おいしいものを食べると「おいしいねぇ」と口に出す、これも祖母ゆずりだ。

しかし一人だけ、「この人と私、ほんとうに血がつながっているのかな」と思う人間がいる。
母の妹だ。
本名が「ひさよ」、あだ名を「おひさ」と言う。
このおひさは、私の趣味に限りなく大きな影響を与えていて、宝塚、少女漫画(主に、池田理代子、美内すずえ、一条ゆかり)、ハローキティ、姫系雑貨、これらはみな、幼少期におひさの部屋で過ごす中で触れたものたちで、大人になった今も好きだ。
三つ子の魂百までである。

このおひさ、実は私と一緒に幼稚園に登園し、クラスの中でともに時間を過ごしたこともある。
ホームシックが激しい私を案じた祖父が園長に頼み込み、特別に許可を得たのだ。
だから、おひさは給食も食べたし(もちろん大盛り)、
おゆうぎ会では、観る側ではなく出る側(森に棲む大きなブタさん、という役どころ)、
音楽発表会ではトライアングルを担当した。

おひさは太っていたので、狭い教室内を普通に歩くことができない。
いわゆるピボットターンを駆使しながら器用に移動する。

今考えれば、とんでもなくはた迷惑な一家であったろうけれど、ひょうきんで、優しい、そんな性格ゆえだろうか、私が別の幼稚園に移る折、おひさの顔も見られなくなると知ったクラスメイトたちは、私よりも、おひさとの別れを惜しんでいた。

幼い頃に時間を共にした大人から影響を受け、その趣味を持つということは珍しくない。
けれど、それは他人であっても可能なことだと思う。
だから私は、おひさから影響を受けた現在の自分の趣味を見つめた所で、「家族だから」という帰結を置かない。
おひさ以外の家族、祖父母、両親、伯母の五人に対しては「やっぱり血は争えないよな」と苦笑するのにだ。
この辺りの事、私は心理学の専門家ではないのでうまく言葉にできないのだけれど、それらは趣味嗜好の類似より、もっと本質的な部分である気がする。
上に挙げたのはほんの一例で、探せば他にいくらもある。

けれど、おひさについては、他人同士でもあり得る「趣味の影響」以外、共通点がない。
正直、なぜ血がつながっているのか分らない。
五親等や六親等なら分るが、なにせ三親等、そんなに近い位置にいる人間であることが、どうしても解せぬのだ。
「いや、皆そんなもんだよ。マイちゃん家のおじいちゃんおばあちゃん、叔母さんたちが、距離が近すぎるだけだよ」と友人は言う。
そうか、そういうものなのだろうな、と無理やりに自分を納得させて生きている。

母に禁止されていたコンビニのパンを、最初に私に与えたのもおひさで、母に内緒で塾を休ませ、宝塚を見に連れていってくれたのもおひさで、「勉強なんかせんでいい」を連呼するのもおひさだった。
子供の私にとっては天国だったが、年をとるにつれ、私は、おひさとの距離をより強く認識し始めていることに気づく。

無害は無害だ。
むしろ伯母の方が有害だ。
外面ばかりよく、自分を棚に上げて家族に手厳しい。全員から一線を引かれている。
それでも、伯母はやっぱり私の伯母だな、と認めたくないながらも、そう思う部分がある。
けれど、おひさに対しては、年を経るごと、ずれしか感じないのである。

ものを考えようとしない。
「だってめんどくさいじゃん」と言う。
本を読むのが嫌い。
「漫画で人生ぜんぶ学べるよ」と言う。
部屋の片づけが嫌い。
「大雑把は長所です」と言う。
貯金が嫌い。
「宵越しの金はもたない」と言う。
パチンコが好きである。
「ストレス解消にマイもどう?」と言う。ちなみに滅法負けるらしい。
体重管理が嫌い。
「太ってるくらいの方が人当たりよくない?」と言う。
日本語が崩壊している。
「通じればよくない?」と言う。

ここまで書けば、親しい友人はピンとくるかもしれないが、要するに、すべてが私の反対要素で出来ているのである。

そうして思い出すのだ。
子供の頃、私の財布の中のお金が一晩で亡くなったことを。
甘やかし放題の祖父のせいで、財布の中には小学生に似つかわしくない額が年中入っていた。
小学五年にして、小遣いは一か月に二万円。
使い道は、五千円でおやつと欲しい雑貨などを買い、五千円で本代とし、残りの一万は貯金である。
誰に言われたわけでもなく、自分で決めた使い道であった。
むろんこれでも贅沢に違いないが、普段は祖父の代わりに締める所は締める父も、この使い道には納得していたようで、叱られたことはなかった。

その時、財布の中には約一万五千円が入っていた。
ショックではなかった。祖父に言えばすぐに補充してくれることを知っていたからだ。泥棒に入られたのだろうと思った。我が家は私が生まれる前に三度、私が生まれてからは二度、地域では有名な「常連」となっている。私は「許そう」と思った。頃よくというべきか、折悪しくというべきか、その頃私は推理小説に夢中で、数多の物語に振れるうち、「罪人にも事情がある」という事実を知った。恐らくも私は経済的指標でいう所の「上位層」に位する人間で、それ故に、憐憫の情をかけることも必要ではないのか、それが、自分の様に恵遇を享受して生きている人間の役割ではないのかと、こう思ったのだ。酩酊もあったと思う。
しかし問題は、早急にお金が必要であったことである。
その日は父の誕生日の前日で、私はプレゼントとして、父の好物であるピザとサラダを作りたいと思っていた。お札と一緒に、五百円玉と百円玉もきれいに抜き取られていて、財布には三十五円しかない。祖父は出張で県外にいた。貯金を下ろすには母の許可が要る。
一瞬の酩酊に別れを告げ、母に、
「ごめん、二千円貸して。パパにピザ作ってあげたいの」
と言う。
母は「お金持ってるでしょ?」と返した。
仕方なく事情を説明すれば、母の顔色がみるみる青ざめた。
「このこと、お友達とかには言わないでね」と言い、隣の部屋に入り、鍵を閉め、私が入ってこられないようにした。それからどこかに電話をかけた。話しぶりから、どうやら相手は祖母らしいことが判った。
翌日、私の財布には元の通りの金額が入っていた。

それから数日後、祖父母の家に遊びに行くと、祖母が泣きながら私に「ごめんね、おばあちゃんが借りたんよ」と言う。
べつに借りるくらいいのに、なんで泣くんだろう。
そう思いはしたが、それ以上問う気もなく、私は普段の通り、おひさと遊び、夜には祖父の横で、祖母の作ったごはんを食べた。
後年、私は誰の仕業か気付くのである。
祖父は財布の管理を祖母に任せていて、自由になるお金をずいぶんと持っていた祖母が孫に借りるわけがない。
たとえ持ち合わせがなくとも、私の為に、みかんを食べる時は薄皮まできれいに剥いてくれた祖母が、母が仕事でいない間に熱を出せば徹夜で看病してくれた祖母が、友達を連れて遊びに行くと手間のかかる料理をたっぷりと作ってくれた祖母が、私の財布からお金を抜き取るわけがないのだ。
そもそも、大多数の人は、いよいよ困ったら、幼い孫ではなく、まず娘に借りるだろう。

おひさは、いつも家族の誰かに怒られていた。
そのほとんどは、宝塚、あるいはパチンコ、どちらかの為に、家族に無心するからだった。
「同級生が結婚するから」
「友達の旦那が死んだから」
子供心に、この人の周りでは、ずいぶん人が死んだり結婚したりするものだと思っていたが、それらすべて、好きなスターへの差し入れ、チケット代、交通費、そしてまた、休日の負け戦に充てていたのである。
後年、大人になった私も宝塚という共通の趣味を持つことになるのだが、ファン仲間の中で最も財布の紐が固かったのは、反面教師がいたせいだろう。

昨年のこと、連れ合いに、祖父母と伯母、そしておひさ、のことを話した。
「へえ」とか「良いおじいさんだね。」と好意的な相槌を打ちながら聞いてくれていた彼が、おひさの話をした時だけ、「君の身近にそういう人がいるのは、意外だったな」と言う。
何故かわからぬが私は「ごめん」と謝った。
すると「謝る必要はない。ただ、君という人間から想像しがたい人物像だったんだ。まあ、そもそも叔母と姪ってあまりにも別人だけど」と言う。
そうなのだ。
おひさと自分を結び付けた時、いちばんしっくり来る表現は「違和感」なのである。
親なら恥かもしれないが、親じゃないから恥と呼ぶほどでもない。
憎んでもいない。
ただ、違和感があるのだ。
そしてこの違和感、なかなかに払拭しがたい。

病弱で入院しがちの子供時代、母と交替で付き添ってくれたのは、仕事を持たぬ、おひさだった。
病室のかたい簡易ベッドで何度も寝起きし、夜中、枕元の氷を替えてくれた。
今思い返しても、ありがたいと思う。
違和感と感謝は共存できるのかもしれない。
けれどこれからますます「ずれ」を感じてゆくことになるのなら、そしてそのずれを許容し難い自分がいるのなら、距離の取り方を見つめ直してゆくべきだろう。
「恥じゃない」と書いたものの、この違和感をいずれ「恥」と呼ぶようになる自分の姿も目の端に入れている。
母がさかんに「あんな妹がいるっていうこと内緒にしておきたい」と言うのを聞くにつけ、子供心にずいぶん非情だと思ったものだが、近い将来、その気持ちを理解る時が来る予感がした。

出す必要のない勇気もある。
溜息を落としながら、家計簿を広げ、払い戻しにかかった額を「赤字」欄に記した。これは、向後毎年かかる必要経費なのかもしれない。〈了〉



**********
【次回予告】
久しぶりにこの欄復活。
次回は、いよいよ「追憶」第五章です。
エネルギーを「追憶」に全振りしてるから、最近、アウトプットがみっともないな。

文章に凝った作品は、改行少なめ、
あまり凝ってない作品は、改行ばんばんしちゃう。
そういう自分に気付いてる。これは後者。
昔の自分ならこれは「エッセイ作品」に入れず「雑記」だった。
でも、段々と「エッセイ作品」に入れる沸点を下げてる自分がいるのかなぁ。
でもまた原点回帰で上げたくなった。そこは、自分でも分らないなぁ。
あと、なんだろうな、思い入れあるテーマじゃないから、というのもある。
そう、思い入れによって、文章に凝りたいものとそうじゃないものと分れるかも。
いくら「追憶」に全振りしてるからって、凝りたいものはしっかり凝る。
これは違う。
つまり本当の筆休め。
こういうの書かない方がカッコいいよね。うん、でも、書いちゃうのが自分なんだね。いいじゃん。

あと、時間軸の取り方に悩む。
当初、このエッセイの書き出しを「この連休~」にしていたんだけれど、それだと自分の中で「作品」にならないんだ。なんていうか、「作品」は「いつどこで誰が読んでも」という前提で書きたい。だから馴れ合い的な内容も入れたくない。雑記はOKなんですけどね。
結局はすべて、「いちげんさんが紙で読んだときに通じるか」を念頭において書いてるってことなんだけど。いつか、これまで書いたものを編んで自費出版とかしたいなと漠然と思っているし。
でも、そうだとしても、「この連休~」という書き方で書くエッセイもあっていいのかな。分らん。

「時間軸」って難しい概念なんですよね。
しかも小説になると、もっとね。

いつも、そんなことを考えながら、書いてます。
「次回予告」じゃなくもはや「あとがき」だな、これ。
最近、ケンタッキーのゆず七味チキンにハマってます。

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貴重なお時間で読んで下さるすべての方に、感謝の気持ちでいっぱいです。

こんな駄文を読んでくれるなんて、、、アンタほんまに、ええ人や、、、
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小説、エッセイ、詩、雑記。書く題材によって文体の差が大きいです。 貴重なお時間でお読み下さる全ての方に、感謝の気持ちでいっぱいです。たまに翻訳のお仕事しています。連絡先*chanelpink@hotmail.co.jp

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