セレッソを“声″で盛り上げる男。西川大介が語るスタジアムDJのあり方
<掲載日:2017年5月31日>
※こちらは過去に実施した舞洲Voiceのインタビュー記事になります。
スポーツの試合を盛り上げる要素として、選手たちが見せるプレーや観客の盛り上がりは欠かせない。ただ、選手と観客、そしてスタジアムのボルテージを自らの“声”で最高潮まで持っていくのがスタジアムDJである。
セレッソ大阪のホームゲームでその役割を務める西川大介氏は2001年に縁あってこの役職に就き、今年で17年目を迎える。
ゴール時に音楽を流したり、選手の名前をDJと観客が共に呼び上げる“コール&レスポンス” を取り入れたり、とスタジアムにおける一体感をクラブとサポーターと共に作り上げていった西川氏。彼はいかにしてこの世界に飛び込んだのか?そして、彼が考える“スタジアムDJ論”とは。
(取材・文:竹中玲央奈)
音楽好きが転じてラジオDJに
僕がこの仕事を始めたのは17年前です。当時スタジアムDJというのはほとんどなくて、鹿島にはダニー石尾さんがいましたが、関西にはそういった方はいませんでした。最初は山下真妃さんという女性の方がやっていたのですが、ゴールや選手紹介を男性にしてもらいたいという要望があって、紹介してもらって始めたのがきっかけです。
サッカー自体は仲が良い友達がやっていたこともあって、小学校1年生のときに始めて、好きなスポーツではありました。父親は野球をやらせたかったみたいなのですけど、友達が全員サッカーをやっていたので泣きながらサッカーをやりたいと言ったんです。だから僕だけ掛布(雅之 元阪神タイガース)の帽子をかぶってサッカー行っていました(笑)。
ただ、父親も今となってはセレッソのファンになって、試合を観に来てくれています。息子がスタジアムで大声で叫んでいると言うことが嬉しいかわからないですけど、元気にやっている姿を見せられるのは良いことかなと思います。
ただ、僕はサッカーを実際の仕事にしようとは全く思っていませんでした。プレーヤーとしては高校の途中で怪我をして辞めて以降は音楽をずっとやっていて、そこからラジオのDJになったんですよ。音楽が好き過ぎて、レコードやCDを買うのにお金がかかるじゃないですか。『ラジオのDJになったらCDがタダになるよ』と言われて、それでDJを目指したんです(笑)。
契機は、森島寛晃と眞中靖夫
だから全くサッカーに関わっていなかったのですが、たまたまセレッソがDJを募集しており、自分のところにもお話が来たんです。そのとき、セレッソはテレビ越しで見ている存在だったのですが、僕は森島(寛晃)さんが大好きで。「モリシいるし、やろ!」と、そんな生意気な感じで応募を決めました。当時は17年後も続けているとは思ってもいませんでしたね。
オーディションでは自分がどんな喋り方をするかを見せなければいけないのですが、お任せです。『選手紹介を読んでください』と言われるんですよ。僕が読んだ頃は2001年のメンバーですから森島さんも、田坂さん(和昭 現福島ユナイテッドFC監督)もいましたね。
その審査を通って、僕ともう1人が最終まで残ったんです。その最終審査までの間にホームで行われる公式戦で喋らせてもらうことになったんですよ。もう1人の方が最初にやったのですが、その試合はセレッソが負けました。次に僕がやったのですが、何とその試合が※眞中(靖夫)さんの3分間ハットトリックの日だったんですよ。それを見てこれはもう行っちゃえ!と思ったわけです。お祭りだ!というくらいに盛り上げまくったら、『いいねお前!』と評価されて僕に決まりました。
※2001年7月14日の柏レイソル戦。72分、73分、75分にゴールを達成。J1における最短のハットトリック記録でもある。
スタジアムDJの型というのは、当時は存在しませんでした。実際に「ゴール!」ということや選手紹介を言うぐらいしかないのかなと思っていたんです。ですが、『これからセレッソはサポーターと一緒に盛り上がるものを作っていきたいんだ』という話になって、サポーターと一緒に作ったのが今の演出。ゴールが入ったら音を流し、コール&レスポンスをするということ。今は普通にやっているものも、あの頃にサポーターと話して決めたんですよ。
“サポーターが応援しやすい空気を一緒に作ろう”というのがキーワードでした。DJって前にでたがるでしょ。タレントなので(笑)。ただ、おいしいところは自分で決めたいとずっと思ってきた人間がサポーターと選手がやりやすい環境のためのサポート役になるという発想はすごく新鮮だったんですよね。コール&レスポンスも、「みんなが声を出しやすくするために自分はどうしようか」「ゴールが決まったあとみんながはしゃぐためにどうすればよいか」「そのためには俺が全部を言うんじゃなくて曲をかけてみよう」とか、そういうことを考えながらちょっとずつ変えていきました。
スタジアムDJがスポーツ界に与えられる価値
僕がDJをやっている中でずっと感じていることがあります。それは、“サッカーの試合でしょうもないDJがしょうもない喋りをするとしょうもない試合になる”ということ。一個一個の入場を「すごいやつがこれから入ってくるぞ!」と思いながら喋っているのですが、それを見たときに子供達が『自分もこういう風になりたい、喋ってもらいたい』と思ってもらえればな、と。そういう意味でも1試合1試合に賭けてやっていますし、ミスをしたら終わりだとも思っています。その状況を見て、その喋りを聞いて、雰囲気ができた中でサッカーを見た時に、セレッソの選手をかっこいいと思ってもらえるようには、常々考えています。
サポーターが応援しやすい空気もそうですけど、自分が選手をリスペクトして話すことで子どもたちも選手への憧れが強くなると思うんです。ヒーローインタビューのときもしっかりと選手をリスペクトしているという姿勢を出して話します。子供達にとって彼らはヒーローなので僕が適当だとヒーローに見えない。そこは常々意識していますね。
サポーターと共に良いものを創っていく
DJをやる中でも色々とトラブルはあります。コールを何回するか、ということで2年ぐらいサポーターと色々と話し合うことがありました。その意見交換はクラブが開催するサポーターミーティングのようなもので案を出して、経過はサポーターやクラブスタッフ、運営の人と話し合って、開催されるたびにまた話す、というような形です。そして今の形に落ち着いたのが2005年頃ですね。
とはいえ、実際今のままで固まったかというとそうでもありません。まだできていないものがたくさんあるとは思います。ただ、クラブとサポーターが意見を合わせながら歩いていくのはすごく大事なことだと思っているので、僕はあーだこーだと言い合って、時間をかけても良いのではないかなと思います。
湘南ベルマーレのスタジアムDJをしている三村ロンドさん曰く、日本で初めてコール&レスポンスをやり始めたのはウチらしくて。『(コールに)何秒ぐらいかかっているの』?と聞かれました。というのも、コール&レスポンスの最中に試合が再開して点が入るということも無きにしもあらずなので。
僕は得点が決まってコールをする時に選手の動きと審判の動きを必ず見るんですよ。アウェイの選手はポジションについている状態でセレッソの選手が喜んでいたらゆっくりやるし、もう自陣に戻っていたら急いでやる。コールをするスピードは結構変えていますね。それをすることによってセレッソの選手たちもゆっくり喜んでくれている感じもしますし。ですから、コール&レスポンスをやっている間にゲームが再開して点を取られる、みたいなことは絶対にないんです。
近くにいる選手との関係性は?
舞洲の練習場へ取材に来ることはもちろんありますし、選手とご飯を食べに行くこともあります。仲良くさせてもらっていますよ。
セレッソのサポーターとコミュニケーションを取って応援しやすい雰囲気にするのももちろん大事なのですが、選手が『誰が何を喋っているんだ?』と思ってしまう、そこをわかってもらえないと本物の意味での“ホーム感”は出ないと思うんです。選手に対して“こんな人間が喋っていてこういう内容を言うんだよ”ということをわかってもらうというのを前提でコミュニケーションを取っています。柿谷(曜一朗)選手、清武(弘嗣)選手、(山口)蛍選手も試合に出ない時はDJブースに嫌がらせに来ますし(笑)、みんなで一体となっている感じを出せています。ただ、それも和気藹々とは違ってリスペクトをしている感じは出せています。
香川(真司)選手は『みんなに真司って呼ばれたい』というようなことを言っていました。そういったリクエストが来るんですよ。サポーターも選手に「こう呼びたい」というように言いますし、それも大阪の良さなんでしょうね。人の良さというか、距離感が心地いいというか。サポーターと選手の距離、サポーターとDJの距離もめっちゃ近いんです。家族というか友達みたいに話しかけてきますから。僕も友達みたいに話しますし、電車でセレッソのホームゲーム言った日は電車でセレッソのサポーターと話ししながら帰る。自分がDJという意識はあんまりないです。
今、トップチームに上がってきた舩木(翔)選手は小学校の時からずっと仲よくて、その頃から一緒に写真を撮っていたんです。その彼がユースに上がって、トップにも上がったというのは変な感じがします。それは柿谷選手もそうなんですけど。それも歴史だなと思いますし、支えてきてくれたサポーターがいて、「みんなでセレッソを創っているな」と最近は思えるようになりました。
<後編に続く>
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