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第222話 僕の大好きな俳句と短歌


まずは俳句。

◆柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

正岡子規の俳句。

説明不要の、俳句オブ俳句。

僕は、理屈っぽい人間だ。だから、若いころは、この俳句の良さがわからなかった。

「柿、食った。鐘が鳴った。・・・だから、なに?」と思った。

それが、いつからだろう。

「いいなぁ・・・」、って思うようになった。

映像が浮かぶのだ。脳内に、動画が流れるのだ。

ちなみに、Wikipediaには【「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがある】という解説があった。

その解説を無視して、僕の、脳内の映像を書く。

旅人が、山道を歩いている。
熊野古道かもしれない。
旅人は、小腹が減って、ひと休みする。切り株に腰を下ろし、さっき貰った柿を食う。すると、
「ご~~~ん」と、遠くに鐘の音。
旅人がつぶやく。「方角、音の大きさ。・・・法隆寺の鐘だろう」

なぜか、バガボンドの沢庵和尚(たくあんおしょう)の絵が浮かぶ。バガボンドに、そのようなシーンが、描かれていたのかもしれない。


風情というのだろうか。

なんともいえない、ゆったりとした感覚にいざなわれる。

僕は、この俳句をキッカケに、風景描写が好きなった。

「風が吹いている。そんなに強い風ではない。それでもススキを揺らすには、充分な風だ。そして満月。まだ月は低い位置にあり、そのせいで少し大きく見える。しばらく佇んでいると、風が冷たいと感じた。」byじょーじ

まさに、「だからなに?」ってヤツだ。

いま、10秒で書いたが、なんか好きなんだよなぁ。風景描写って。この【風景描写の良さ】を、誰か、言語化してくれないかなぁ。


◆やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

今度は、短歌だ。与謝野晶子の、おそらくは1番有名な短歌だ。

僕が、大好きで、たまらなく好きな歌なのだ。

本来、この歌は、解説する必要はないだろう。また、僕ごときが解説するなんて、おこがましい。

しかし、僕なりの、すごく短い解説を、大好きなゆかりちゃんへ届けたい。


まず、現代語訳。

この私の柔らかい肌の熱い血のたぎりに触れてもみないで、さびしくはないのですか?人の道を説いているあなた。


もう少し、わかりやすくしよう。

まず、時代だ。

この句は、歌集『みだれ髪』の中にあり、明治時代の後期に発表された。「男女七歳にして席を同じうせず」という、そういう時代だった。

7歳になったら、男女がとなりの席に座るのが、アカン!っていう時代だ。

そんな時代に、ストレートに恋を歌ったのだ。

じょーじの現代語訳は、以下になる。

私の、この、やわらかい肌。・・・触りたくないの?
私の熱い情熱。私は触れて欲しいのに。なのに、触れようともしないの?
あなたは、道徳ばかりを、お話になって。
そんなの、さびしくないですか?


要は、触ってこい! こっちはオッケーよ! なのに、なぜ? さびしくない? カモ~ンヌ! って歌だ。

異論は、出るかもしれないが、僕は、そういう歌だと思っている。

歌、ゆえに、むしろかえって色っぽい。

時代背景を知ると、勇気が凄い。当然だが、当時、賛否は別れた。


与謝野晶子といえば、『君死にたまふことなかれ』も、超有名だ。

戦争へ行く弟へ「死なないで」という、素直な気持ちの詩だ。ぜひ、インターネットを検索して、詩の現代語訳の全文を読んでほしい。

そしてこれも、時代を考慮してほしい。

当時は、『許されない』発言だったのだ。「お国のために、立派に死んで来い」と言わざるを得ない、そんな時代だったのだから。

今、記事を書いていて、涙があふれてくる。

なんって時代だったんだ。

素直な気持ちが言えない。言っちゃいけないとか。

そして、そんな時代なのに、作品にし発表するなんて。どんな精神だったんだろうか。どれほどの精神力だったんだろうか。


◆結論&〆

僕は、絶景が好きだ。

ゆかりちゃんと、美しい景色を、たくさん見たい。


僕は、ロマンチストだ。

ゆかりちゃんは、「エロだろ!」って、ツッコミを入れそうだなぁ。


僕は、『愛のあるツッコミ』をしてくれるであろう、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。


PS.アイキャッチに使わせていただいた画像の句。『何が何やら みんな咲いている』は、山頭火の句らしい。 eikou2014さん、ありがとうございます。




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