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コロナで変わった、「当たり前」。

「それが当たり前よ。」

その言葉を使う人には、少し注意する
パン子です。
おはようございます。

そう。
朝起きれば
「おはよう」
家を出る時は
「いってきます」
「いってらっしゃい」

何かしてもらったら
「ありがとう」
迷惑をかけたら
「ごめんね」

私たちはいつの間にか
「それが当たり前」の中を生きています。

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電車に乗ればリュックは手で持ち、
コンビニで買った
朝ごはんとコーヒーを
「袋は大丈夫です」
とマイバックに入れる。
職場についたら、
まず上司に挨拶。
仕事が終わって
定時に帰れたとしても、
周りの雰囲気に合わせる。
帰りの電車では
「引き締まった体がキレイ」だと
頭に刷り込むジムの広告を見ては
「痩せなきゃ」と思い、
近所のコンビニで
「仕事のご褒美に」と
使い古された言い訳で
アイスを買う。

一歩家を出ればあらゆる
「これが当たり前」という
レールに誘導され、
「これが常識なんだ」と
常識っぽく振舞います。

もちろん、家の中でも、食事中でも。
友達にも、家族にも、
そして、自分自身にも。
小さな「当たり前」をたくさん築き、
それを安心のベースにして生きています。

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私たちはいつも安心していたのです。

人と同じことはしたくないと言いながらも、
人と違うことを探しながらも、
人と違うことを恐れ、
人と間違うことを嫌います。
違うって地味に、不安。
できれば何も考えないでいいくらい
安心して暮らしたいものです。

「これが当たり前」があることで
私たちは
安心のベースを得ています。


だけど。
安心のベースにしていた
「当たり前」は
ある日突然、ひっくり返るものです。

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小さなことで言えば…
少し時計の針を戻します。

私が広告の仕事をしていた、
数年前。

「人は快楽を得る行動より、
苦痛から逃れる行動にお金を払う。
広告をつくるときは
人の「苦痛」なことに訴え、
解消できることをアピールしよう。」

その法則が当たり前でした。
今でもあらゆる広告の本に
そう書かれています。

実際、同じ商品でも「快楽」より
「苦痛」に訴える広告のほうが売れていました。

上司は新入社員に
その法則を最もらしく教え、
「へぇ」と感心する姿に満足します。
ぼんやりした「快楽」広告でも
作ってこようなら
「頑張ったね」と労う笑顔の裏で
軽くあしらわれてごみ箱行きです。

しかし、そんな業界の「当たり前」も
ある日突然、手を平を返すように
誰も思いつかなかった
新しい何かの登場で
ひっくり返る時があります。

「まじか…」
その手があったか。
そのアイディアはすごいな。
明らかに非常識。
なのに、なぜだか
気になってしまう広告。
欲しくなってしまう商品。

最初はバカにしてた人たちも
事実、どんどん売れる非常識を
称賛しはじめます。
そしていつの間にか
非常識が新・常識になり、
新しい「当たり前」になっていくのです。

なにかが大きく変わる時、
ショックのようなものが
「これが当たり前」の壁を
軽く飛び越えます。

なので広告であれば、
先人が何十年とかけて
築き上げた法則に
敬意を払いながらも、
時代の流れに合わせて
「当たり前」に修正をかけながら
柔軟にアップデートしていくことが
大切です。

きっとどんな仕事も
昔の成功や栄光に縛られ、
その時のやり方に固執して
プライドばかり守っていると、
新しい世界に行けなくなります。
「ある時期」から
延び悩むことになります。

そして、いつの間にか
先を越されてしまうのです。

実際、「これが常識だ」と
縛られてしまった人や組織ほど
周りが見えなくなり、
自由の幅が狭くなり、
滞り、
気がづけば取り戻せないほど
遅れた場所に…。
そんな姿を何度も見ました。

「当たり前」も変わっていく。

それを知っていること、
そして認められることは
人生を生きやすくするんだなと思います。

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そして、今年。
穏やかな日常は
一瞬にして変わってしまいました。

私たち人間の「当たり前」を
簡単に変えた、
コロナウィルス。

先が分からないことに人は
不安定になり、パニックになり、
少しでも安心しようと
あらゆる買占めが起こりました。
「死」への恐怖が行動を制限し、
学校や経済が機能しなくなり、
お店は閉店。
街から人がいなくなりました。

それでも気がつけば。

マスクをすること、こまめなうがい手洗い、
店先での手消毒、検温。
人との距離を保つこと、行動を自粛すること…
いつの間にか、常識外だったことを
「当たり前」に受け入れています。

「コロナウィルス」という
苦痛から逃れるため。

思い返せば、
安定しない「当たり前」に
私たちはたくさん不安になりました。
不安だからこそ、
新しい「当たり前」からはみ出す人を
敬遠の目で見て、
悪者扱いしてしまうこともありました。
心が狭くなることもありました。

だけど私たちは
新しい「当たり前」を受け入れる
チカラがありました。

この半年…
それぞれに悩み、
ストレスを感じながらも
新しい「当たり前」の中を
暮らしています。

いろいろ言われますが、
日本人ってやっぱりすごいなと思います。
もちろん、今も不安です。


でも、これからも信じたいです、
私たちのチカラを。

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それにしても。

私たちに
「コロナ」の存在を知れ渡らせ、
「コロナ」への恐怖をあおり、
「コロナ」のある生活の当たり前にし、
「コロナ」を慣れさせてしまった、
テレビニュース。
この時代のアナウンサーの皆さん、
本当にお疲れ様です。

おかげでみんな、
1%のことを50%みたいに
伝えるその手法に気づいています。

そろそろ、
毎日のお天気情報のように
コンパクトにしたらどうかな?
と思います。

今日は
晴れ、曇り、雨でした。
くらいに。

だって、もうみんな
最低限、自分がとるべき行動は
分かっているから。

周りがざわざわしていようが、
静かであろうが、
自分がとるべき行動は
そんなに変わらないから。

…そう思うのです。

感染者数が急増してても
落ち着いてても、
不要不急の外出は控えて、
外出時はマスクをして
3密を避けて
店先では手消毒をして
こまめに手洗いうがいをする。

この「当たり前」は
状況が変わろうが
変わらない気がするんです。

最近は
テレビやネットのニュースを見ると、
命を守るため情報が
命と同じくらい大切な「心」に
よくないなと思ってしまいます。

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実際、私も一時期
コロナ情報を耳にし過ぎて
気持ちが沈んでしまいました。

「あぁ、これはよくないな」
と思いました。

私は自分のことが一番大事なので
心の安定を保つためにも、
周りの環境で
自分の心が疲れないようにするためにも、
テレビに映るコロナ情報を
自ら見ないようにしています。

気になる時は
ネットでその日のまとめ記事を
1つ見れば充分。

おかげで
日常から不快なことが減り、
自分のペースを大事にできています。

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そして今、
あらためて思うのが
テレビニュースを見ても見なくても、
どんなにあおられても、
新情報を知らなくても、
自分の行動は変わらないということ。

もちろん、
それぞれの生活スタイルがあり、
コロナの影響を都度
受ける人たちもいます。

人によって何を意識するかは
環境のベースよって違います。

それでも、それぞれの環境の中で
この半年で新しく築いた
「当たり前」の日常があると思うのです。

慣れるまでに時間はかかったし、
ストレスもあったけど、
少しずつ
新しい「当たり前」を見つけて
受け入れてきたと思うのです。

だから
それを「当たり前」にやっていく。
(もちろん、飲食店や個人店、ホテル業界など
コロナの影響を多大に受ける方たちは別です。
今でも「当たり前」が分からず
不安定だと思います。

不思議なことに
メディアはそこを特出するクセがあります。
そうじゃない生活の人たちもいるのに。
不安にならなくていい人たちまで
不安にさせます。)

無駄に情報を入れると
どんどん心が疲れてしまいます。

もう耳が痛いくらい、
感染を避けるための最低限の
知識や行動は分かっているので、
あとは自分の判断で
自分の「当たり前」の生活を
大切に過ごせばいいのではないかと
思います。
(もちろん、これは正常な判断ができる
人たちのことを指します)

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(想ったことを綴っていたら
なんか今日は、
評論家みたいになってしまいました…)

病気持ちだし、
絶対感染したくない!なら
家から出ない。
だけどたまには
気晴らしに出かけたい。
それなら、
感染のリスクがあっても
最大限の対策をして出かける。
そうやって
自分でバランスをとっていく。

やることはごくシンプルです。

私はシンプルに
コロナウィルス対策として
「人との接触を避ける行動」に
重きを置いて生活しています。

実は以前、
結局はただの体調不良でしたが、
37度、38度近くの熱が
続いた時期がありました。
もしかしてコロナ?
そう疑った時、
「重症化するんじゃないか」という
症状への不安より、
「誰かに移していないか」という
感染への不安のほうが大きかったのです。

感染源になっていないか、
感染源

になるんじゃないか…。
近所にお年寄りも多いため、
とても心配で。
コロナじゃなくても
体調が良くなるまでの1カ月は
不安な思いをして過ごしました。

「もしも」がないように
日課の朝の散歩やラジオ体操、
もちろんおでかけも控えました。


コロナを疑った時に
一番怖かったのが
「周りへの感染」でした。

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だからといって、
今私が外出をしない生活を
しているわけではありません。
むしろ、
お出かけは以前と変わらずしています。

それは、コロナウィルスが
長い付き合いになることが
分かっているから。
そんな中で
我慢しすぎることは
逆に身体も心も不健康にしてしまうこと、
反動がきてしまうことが
分かっているからです。

ちなみに私の言う「お出かけ」は
「自然と過ごす」ことを指します。

コロナ以前からも
自然のある場所へ
お出かけするのが大好きでした。

そして
人と会うことが難しくなった今、
自然を感じられる場所は
穏やかな心を保つための
大切な「当たり前」になりました。

自然は、本当にいいものです。

特に早朝の自然はおススメです。

涼しくて、清々しくて、
人もいなくて、
そして朝焼けは美しい。

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ちょっと朝日を見に行く、
お花を見に行く、散歩しにいく。
その程度でいいんです。

心が穏やかになります。
人と会えなくても自然と会える。
空を飛ぶ鳥、
川を泳ぐ魚、
花とたわむれる蝶、
自然って友達なんだなと思います。

それに近所のスーパーに行くより、
週末のショッピングセンターに行くより、
安全だと思います。

先日は、こんな朝を2人で見ました。

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朝がくれるプレゼントです。


休みの日になると
「人がいない自然を旅しよう!」
それが私たちの合言葉になりました。

だいたいのルーティンとしては
とりあえず
早起きして(この前は3時起き!)
天気を見て
「ここの地域なら晴れそうだね」
とだいたい行く地域を決めます。

朝ご飯を食べて
水筒に飲み物を入れて
お菓子をバックに入れて、
私が化粧をしている間に
旦那さんがセレクトした
「人のいなさそうないい感じの自然」
を目指します。

あ、行く前に大事なのは、
今の状況を調べること。
たまにコロナの影響で入れなかったり、
予想していた花が枯れてたりするので
インスタなどでチェックを。

車なので人と接触をせず、
移動中は窓から
色彩豊かに変わる朝空や
ステキな景色を眺められます。

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目的地についても
朝早いので人はいないか、
観光地でもぽつんぽつん。
自分たちのペースで
自然を楽しみます。

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お昼はだいたいコンビニで
サクッと済ませます。
人との接触は最小限に。

そして最初の目的地から
いろいろと派生して、
自然の旅を続けます。
だいたい3密を避けると
秘境的なスポットになるので、
森や川で足場が悪かったり
汚れたりするのですが、
想像以上に美しい景色や
新しい発見が待っているから楽しい。

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モノではなく
自然にあるものに夢中になる。
モノを手にいれるのではなく
心の中に自然という宝物を入れる。

人との接触を避けながら、
心いっぱい。

そんなお出かけ。

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心の何かが減っていく今、
それをモノで埋めるのではなく、
自然にふれることで
自分の心を満たしていくことは
とても健全な気がします。

もちろん、自然だけじゃ
満たされないこともあります。
正直、友達に会えないのは寂しいですし、
人に会いたいなと思う時もあります。

人とのつながりがくれるパワーは大きい。

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そういえば先日、
偶然に会いたかった人と遭遇して
ちょっとお茶したんです。
短い時間だったけど、
話したいことが溢れて
すっごく楽しくて
一気に元気がでました。

「人と会う」って大事だなと思いました。

なので、
距離を保ちながら
時短でランチやカフェに行くなど
適度に人とも交流しながら、
お出かけも工夫しながら、
そうやって
外との人との付き合い方を
考えていきたいなと思いました。

人と会えなくて
心がぽっかりスース―しそうな時は、
本を読んだり
考えが共感できる人の記事を読んだりして、
「共感」したり
新しい考えを共有したり。
自分なりに自分で存在意義を高めて
ひとりぼっちを感じないように
したいものですね。

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大丈夫。
きっと、また会える。


だからこそ
人との距離を保とう。

会うためにも、生きていこう。

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思いもよらぬこと
予想もしないかったことも
いつか
大丈夫になる。


いつだって私たちは「途中」にいる。



パン子

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