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海の向こう側でも最善を尽くす

みなさん、お久しぶりです!お元気ですか?
はじめての人は初めまして。
外出自粛期間の時間を有効に使いたかったので note を始めました。日頃の鬱憤と脱糞をここでまき散らして逝きたいと思います!っていうのは冗談なのでご安心ください。

さて、私は早稲田大学に入学してから半年が経過しました。「半年間でそんな人生変わってないだろ」と思ったそこのあなた。「半年しか日本に住んでないんだからそんなブログ書ける程の語彙力ないだろ」と思ったそこのあなた。この私をなめにきたのなら、お布団にお帰りなさい。こんな偏差値の低い文章読んでも満足しないでしょう。

「帰国子女はいいな〜羨ましい」

私が生まれ育った国はアメリカなので本当は「帰国子女」ではないけれども、日本に来てからこの言葉を何十回聞いたんだろう。私の「英語も日本語も完璧」と思う方々は日本だけではなく、アメリカにもたくさんいます。あなたもそう思っているのだろう。アメリカでは母親と電話している時に友達に驚かされる、日本では大学で英語を使うと発音のうまさに感動される。まぁ100%日本人の両親を持ちながらアメリカで生まれ育ったんだから発音が良いのは当然でしょう。だが「言語両方楽にできる」と思っているあなた、誤解しています。

君は何語が喋れるんだ?

私の両親は共働きであったため、2歳から保育園に入れられました。そしてその保育園の持ち主がスペイン人であったため、家でスペイン語が口から出てきたらしい。そのきっかけで小学生の頃からもう英語の授業についていけませんでした。友達を家に呼ぶ度に、母親に私の英語力を他人と比べられ、学校では先生に読解力がないと言われ、なんでこんなに自分の気持ちが伝えられないのだろう。なんで同じ学校で同じ授業をみんなと同じ時に始めたのに私は遅れているのだろう。小学生の頃はずっとその悩みを抱えたまま卒業しました。中学生の頃は「Gifted & Talented」というアメリカにしかない、優秀な子供達が集まるプログラムに所属していたため英語の授業を受けなくてもいいと言われました。他の科目は全く問題なかったので、「勉強は楽勝!英語の授業受けなくていいからラッキー」と思い、小学生レベルの読解力を持ったまま高校へ進学。ここからが地獄でした。(日本でいったら)高校1年生の頃にPSATというアメリカのセンター試験(SAT)の前の段階に受ける試験を受け、自分の語彙力と読解力のなさに衝撃を受けました。1030点という最悪な点数の結果をみて親もショック、「こんなんじゃ大学入れないな」と言われるくらいでした。毎週土曜日に通っていた補習校(日本語学校)のクラスメイトにも追い越されてて、アメリカ生まれ育ちの私が「なんで駐在員に負けてるんだ」と思いました。「私は日本語も英語も中途半端、、何語が喋れるのだろう」小学生の頃に抱えていた悩み事が消えてませんでした。

『努力は必ず報われる』

昔からある、努力論の代表的な名言。
そう信じることができれば、人はどれだけ辛くても努力し続けることができると思います。

落ち込んでいても問題解決しないので、試験結果出てすぐスタートラインへ足を運びました。そしてバイトや課外活動等を両立しながら我武者羅に勉強しました。何十冊の本を読み、わからない単語を徹底的に調べ、「もうこれしか方法はないんだ」と自分の心が叫んでいました。塾にも通い、恥ずかしがらず先生にばんばん質問を投げ、その結果、、、やっとフィニッシュラインへ。SATのスコアが400点も上がり、ACTのスコアも10点近く伸びました。心が嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。やっぱ達成感って気持ちいいな〜

「AOか、、海外に住んでる人って苦労もせずに早慶に入れるよな」

この「苦労もせずに」という勘違いが多くの帰国子女を悩ませる。帰国子女は誤解されやすく、悪目立ちしてしまうことが多いです。彼ら彼女らにはそれぞれ乗り越えてきた苦悩があるということを頭にいれてください。

決して「楽」な人生を送ってきたというわけではないのだ。

外国で生まれたことで得をしたこと

勿論全ての二重国籍の人や帰国子女がこういう経験をしたとは言ってません。
私以上に苦労している帰国子女なんて大量にいるだろうし、私が皆の代表を気取るつもりもありません。帰国子女として生きていた苦労、乗り越えてきた苦難。それらをいったん置いて、「二重国籍の人や帰国子女だからこそ得られたもの、実はたくさんあるのではないだろうか」を考えましょう。

私はこうして早稲田大学に入れたのも、
外国人とコミュニケーションできるのも
アメリカと日本の文化を比較できるのも、
今の友人たちがいるのも、
二つの国の文化で育てられたからこそ手にいれたものだ。
将来就職活動するときにはこの「二重国籍」が役立つでしょう。

海を渡ってからの新しい世界

明智光秀も知らない、きちんとした日本語の文章はかけない。となると、英語ができても就職などは非常に限られてくると思います。日本に住んでいれば完璧な日本語を自然に身につけられると思っていましたが、完璧な日本語は日本の学校教育を通して行かないと身につけられないことが分かりました。日本語で、きちんと、文学や歴史や科学の話ができるのは学校に行って学んだからです。日本で生まれても学校教育を受けないで、ずっとお母さんのそばにいて、20歳になった人がいたとしたら、どんな日本語を話すか想像できますよね。それと同じで、日本で20歳まで英語のプライベートレッスンを受けても、大人が喋るきちんとした英語は喋れません。ましてやバイリンガルなど、なれるはずはありません。子供がバイリンガルになるには、母国語の維持を心配するほど、第二の言語を入れていかなければなれないのです。でも私母国語ちゃんと喋れるのかな??日本で母国語を保つことが出来るのかな??カルチャーショックよりも言語に関しての疑問と不安を抱えていた私がそのまま海を渡りました。日本語では日常会話しか出来ない私。そして全く言語を独学する気ない私。さぁ、この意識の高い大学でどうやってみんなの会話についていけるのだろう。ずっとそう思いながらそのまま大学へ進学しました。そして時が経ちました。

私の日本語能力はまだまだ全然なんですけど、この数ヶ月間色々な記事や小説を読んでかなり上達したという確信があります。「日本に住んでいたら日本語は自然と上達するでしょう」と思い込んでいた私がある早大生と出会ってからその考えが変わりました。その人は「純ジャパ」(純粋なジャパニーズで日本を離れて生活したことない人)で、本をたくさん読んでいて、学びたいことを学んでいる人で、いつも遊びほけてた自分が馬鹿にみえました。基本的にあまり喋らない人でしたが、口を開いたら私が分からないような単語をたくさん使用していたので自分の日本語のやばさに気付きました。あれから「日本人と議論が出来るまで日本語を勉強したい、語彙力を増やしたい」という強い意思を持ちはじめ、春休み明けてから様々な記事や本を読みました。やっぱ人の影響ってすごいな、、

尊敬できる人に近づいて、
自分も尊敬されるような人、自慢されるような人になることが大事。

そう思っています。

ファイト!

私の頭の中ではいつも言語の戦争が起きています。英語が上達している時は日本語を忘れる、日本語が上達している時は英語力が低下してると思います。けど一応大学の授業はほぼ英語なので語彙力を保つことは出来るでしょう。そう信じています。日本語に関しては、まだまだ日本の社会問題や歴史等が知識不足なので語れる程の語彙力はありませんが、大学卒業するまでにはそういうお話を色々な人と出来るようになりたいです。そしてソフトボールで私がバッターボックスの上に立っていた頃によく聞いていた「ファイト!」を頭の中にずっといれて生きていきたいです。


では!現場からは以上です!このブログの中に、「間違った日本語」がたくさんあっただろう、、日本語は私の第二言語なのでどうかお許しください。そして最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。
「母国語ができなかったら日本語とか絶対無理じゃん」と数年前言ってた自分に、「こんな長文が書けるようになったよ!」と伝えたいですね。

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