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国際結婚して思うこと。

国際結婚のリアルと本音の話。

キーワード:
#騙し
#引っかけ
#信頼


2月16日は三年目の結婚記念日。

石の上にも三年?
もう?まだ?
たった三年。
夫婦仲は、忍耐とか我慢とか妥協だとか、日本ではよくそんな言葉を耳にするけど、私は今のところ、そんなことを感じたことはこの三年間一度もない。

確かに苦悩はある。
でもそれは苦痛とは違う。
やはり危機は、正直なところ何度かはあった。
しかし何とか今まで、騙し騙し(?)で切り抜けてきた。

そんなこんなで今のところ、
別れようと思ったことは一度もない。
それは今のところ、
別れる理由がないから。
別れるもなにも嫌いになったこともないから。

これは、私の一方通行な思いだけではない。
夫は夫で精一杯に歩み寄ってくれる。
だから危機を乗り越えてこられたのは夫のお陰・・・
とも言える。

夫の長所と言えば、素直、正直、優しい、礼儀正しい、がんばり屋・・・

結婚生活において、悩みがないことのほうが稀のような気がするし、
むしろ喜怒哀楽を共有しながら寄り添って生きていくのが夫婦の形なんだと思う。

とか言うと、端から見るといいフリこえてるように聞こえるのかもしれない。
かもしれなくても、決してフリではなく仮面夫婦でもない。

事実は、夫と出会ってからの私の心の充実感は計り知れないこと。
夫が私の心の支えになっていることは確かだ。

我慢どころか、むしろ好きな気持ちは変わらない。
年々増している。
周りからどう思われようと、これが私の正直な気持ち。

ただ好きと言うだけで結婚した。
向こうも多分。
単純な動機。

中身を知るのは後からでもいいと思った。
知れば知るほど、この人の人となりを見る限りでは今のところ後悔はない。

後のことはわからない。
でも先のことを考える前に、
一歩踏み出した。
一か八かの決断。
即決することで失敗はある。
でも後悔がないということは失敗ではない。

優柔不断に考えているうちにせっかくのチャンスを逃す・・・
なんてことは人生においてはよくある話。

自分の人生は自分で切り開くことに意義がある。

私は自分で人生観を変えた。

。。。

出逢ったきっかけは、運命とも言えるようなドラマ的な出会いから始まった。
ありがちな道端でのナンパではない。
道端は道端でも・・・

私は決して道端でウロチョロしてたわけではない。
ただ、海外でお店を探したり道を間違えたり同じ道を戻ったりすると、
端から見れば、ウロチョロしてるように見えるもの・・・
そんな私に路上で声をかけてきた男の一人が、今の夫というわけだ。

金になりそうなカモだから?
そのときの私は、何人かの男を振り払いながら、隙を見せない油断しない毅然とした態度で雑踏の中を歩いていた。
振り払い、振り払い・・・
私の気持ちはブレることはなかった。
そう、夫に出くわすまでは。

海外で女一人。
ましてやアフリカで白い女が一人歩きしているとなると、ほぼほぼ100%男に絡まれる。
しかも、あちらの輩はかなりシツコイ。
そこをどう振り払うかは自分の手腕にかかっている。
うっかり相手の思うツボに話に乗せられたらアウト。
危険に身をさらし騙される・・・
が、オチ。

海外慣れしている私ではあったけど、どういう訳か、このときだけは違った。

直感というか、瞬間というか。
心を奪われる経験。
それはこのときが初めてだった。

人の第一印象とは・・・?
正直なところ、身なりは関係ないと思った。
夫は日本人的な日本人の概念とはまるで違う印象。

社会的地位?
そんなの関係ない。

あの笑顔、彫りの深いイケメン風、長身、フレンドリーな振る舞い、軽い口調、雰囲気・・・とまぁ、日本人的に見ると遊び人風。

あの調子で来られると、女はみんな・・・とは言わないけど、
実際には私みたいな女が引っかかった!と言うわけだ。
とまぁ、ドストライク。
落とされた。
この人に落ちた。

だからと言ってパッと見は、
決してコ綺麗な出で立ちとは言えない・・・むしろコ汚い風貌。
(う~ん、、なんか砂っぽい(笑)・・・)
それでもなぜか私の目には純粋な好青年に映った。

何の直感なのか。
何の根拠もないけど、「この人!」という結婚の二文字が浮かんだ。

私は引っかけられた?
それとも引っかかった?
夫が私を引っかけた?

でも、何を?
そもそも引っかけるって何だ?
女を引っかける?

騙されたと思えばそうかもしれないし、騙されてないと思えばそうかもしれない。

そもそも騙されるとは・・・?
詐欺とか、一般的には、金銭的な問題が絡んでいることが大半だろう。
しかし、騙されていることに気付けなければ、それは騙されていることにはならないわけで・・・

言葉巧みに近付いてきて、根こそぎ金銭をむしり盗られた・・・
なんてことは、私にはもちろんない。

気付いたときには手遅れだった・・・
なんていうシナリオもありえない。
なぜなら、私はそんな金持ちではないから。

まず、その人が好きというだけで借金してまで貢ごうなんて気は私にはさらさらない。
や、貢ぐ女の気持ちがわからないし・・・まったく。

そもそも伴侶を信頼できなくなったら、おしまいだ。
それはそのときが、お別れどき。

金の切れ目は縁の切れ目。
そんな言葉がある。
でもそんな言葉は私たちには一切関係ない。


( 結論:信頼していたのに、詐欺紛いの男に騙された!
なんていうシナリオは、ありがちな国際ロマンス詐欺とか国際結婚詐欺ということになる。
もし、そんな詐欺に引っかかったなら、自分の男を見る目がなかったと思うしかない。
自分の冷静な判断と直感が全て。
全ては自己責任です。)


私の夫はセネガル人。
年の差婚。
スピード婚。
交際ほぼ0日婚。
貧乏人同志。
いろんなハードル。
ある意味では覚悟の結婚。

目指すは夫の完全な独立。
強い男になってほしいと願うばかり。

国際結婚と言うだけで周りからは珍しがられる。
ましてやセネガル人となると、もっと目を引く。

「え?肌が黒いんだよね?」
「アフリカの人?」
「すごい~!」

などなど。

私の懸念は、夫が見せ物になってしまうこと。
日本に住むからにはしょうがない・・・とは思いつつ、
不特定多数の人間が、どこからどもなく聞き付けて、物珍しく興味本位で近付いてきて、根掘り葉掘りと、人んちの私生活を聞き出して、他人に拡散・・・そんなことを想像するだけでゾッとする。
私生活も何もなくなってしまう。

私たちはただただ静かに暮らしたいだけ。
ただ見守ってくれるだけで有難いと思う。
そっとしておいてくれたなら、それだけでいい。

夫は外国人というだけで有名人でもなければ何者でもない。

セネガルか日本か。
どっちでも暮らせるけど、どっちかと言えば私はセネガルかもしれない。

夫が日本に骨を埋めるのではなく、私がセネガルに骨を埋める。
そんなことを漠然と考える。

夫がセネガル人だから。
それだけの理由ではない。
なにより私は日本不適合者。

なんでセネガル人?
それまで知り合ったどの日本人男性にも私にはいまいちピンとこなかったから。

そもそも国際結婚ということは、私は日本人不適合者だから?
・・・ずばり、そうかもしれない。
日本人ではなくセネガル人の夫に魅力を感じた。

とあるとき、私の同期が何気に投げかけてきた言葉。
「日本不適合」
この言葉がずっと引っかかっていた。
同期曰く、自分がそうだと。
なら、私もそうだと確信した。
(ノリちゃん、教えてくれてありがとう。
心につっかえていたものが取れたよ。)

。。。

十年前に初めてセネガルへ渡航。
仕事で赴任して以来、私の人生は激変した。
帰国後も私の頭の片隅にはセネガルがありながら、無理矢理日本での生活を再開させた。

そんな生活の傍ら、日本とセネガルの往復を続ける。
そして年月は流れ・・・ついに三年前に夫と知り合ったのだ。
仕事で長期滞在していた十年前ではない。

ちょうど今年は節目年。

初めてセネガルを知ってから早十年。
そのときからすでに私のストーリーは始まっていた。
この十年間に積み上げてきたもの。
それはセネガルへの思い。

セネガルを知る前は、アフリカ自体が私にとっては全く未知の世界だった。
ところが、一歩足を踏み入れると・・・
セネガルが好きになり、なによりセネガル人が好きになった。
そこが原点。
そこから全てが始まった。

。。。

そして今後は・・・
今から準備をしておこう。
夫が日本に生涯を捧げる?
・・・考えられない。
この高齢化社会で?
余生を?

一方で、(セネガルを知り尽くした私には)セネガルにはまだまだ未来があるように思う。
生活の可能性がセネガルにはある。
途上国だから、云々・・・は先入観。

私たちは、なんとしてもこれからの未来を生きていかなくてはならない。


そんな多くの不安要素を抱えながら、私たちはこれから押し寄せるであろう荒波を乗り越えようとしている。

一緒に泣いたり笑ったりしてくれる夫がいるから今の私がある。


心があるから信頼できる。

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