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ブルーベリーの実る頃。トゲと一緒に生きていく。

「ほら!あそこにあるよ!」

「どこどこー?それはまだ、あかいねぇ」

「これ、すんごくおおきいよ!」

6月半ば、わが家の庭のブルーベリーがポツポツと実を青く染め始めた。

子どもたちは、競ってブルーベリーを探し、手元の小さいボウルに入れていく。明るい声が庭ではずんでいる。


最初はどの実がおいしいのかわからず、とりあえず青っぽいのをとってしまっていたけれど。

最近では、青といっても深く、限りなく黒に近い艶々のネイビーになったのが甘くて美味しいんだと、長男が教えてくれた。

一見青くなっていても、よくみると実の一部が赤っぽいのがあり、それはすっぱくて収穫するには時期尚早。

3歳の二男は採れそうな青い実を見つけても、まだ手を伸ばすのがこわいのか、自信がないのか、

「じぃじがとってぇ〜」

と甘えている。

わが家の庭は、庭といっても、猫の額、いや、鰻の寝床?

…とにかく、狭くて、かつ細長い。

それでも、ブルーベリーを始め、バラ、紫陽花、ラベンダー、クリスマスローズ、タイタンビカスなど、私が好きな植物たちがぎゅうぎゅうに肩寄せ合って暮らしている。

5歳、3歳、7ヶ月の息子たち3人を育てている今、どうやってこの庭を管理してるかって?

それは、専属庭師=実父の存在があるからに他ならない。


∞∞∞∞∞


私は、関東地方の自然豊かな地域で育った。

若い頃の自分にとって、緑が多いことは当たり前すぎて、過疎化が進む故郷のまちは刺激がなさすぎて、吉幾三さんの「オラこんな村いやだぁ〜♪」にめちゃめちゃバイブスを感じていた。

田舎特有の閉塞感、長男や長女が家の跡を継ぐのが当たり前の風潮。

そんなの、今の時代にそぐわない。


このまま実家にいたら、自分はダメになってしまう自信があった。

早く独立したい。

親に頼らず稼げるようになりたい。

学生のうちから、なぜだかいつもそんな焦燥感があった。

都会の自由な空気に憧れ、そこに行けば何か自分が変われるような、淡くてもろい期待だけを抱いて、都内の大学に進学したのを機に実家をでた。


その後、都内で就職し、夫と職場結婚することになる。

結婚の許しを得るため両親と食事をしたとき、思いのほか、反対されることはなかった。

ただ、父がポツリと

「なるべく、うちの近くに住んでくれたらなぁと思うんですよね」

とだけ言った。

きっと、控えめな父が精一杯、本音をさらしたのだと思う。

その言葉にどう答えたんだったか、おそらく夫と一緒に「あはは…」と愛想笑いしただけだったように記憶している。


2年後、私たち夫婦は「自分たちの城」を持ちたい一心で、家を購入した。コンパクトで、東側にせまい庭がある白い家。

ただ、2人とも同じ職場で働き続けたかったので、通勤を考えるとどうしても私の実家の方面には住めなかった。

結局、私の実家からも、夫の実家からも車や電車で2〜3時間ほどかかる場所になってしまった。

このことを両親に報告したときも、表立って反対されることはなかった。


ちょうど家を検討している時、長男の妊娠がわかり、引っ越したのは妊娠6ヶ月くらいのときだった。

何かの折に私が、

「何か庭に植えたいと思うんだよね」

と両親に話すと、

「子どもも産まれるんだし、食べられるものがいいんじゃない?ブルーベリーとか?」

と母が提案した。

私も食いしん坊で、庭で食べ物がとれるなんて夢のような話だったので、ふたつ返事でOKした。

でも、私には庭仕事の知識はほとんどなかったし、加えて、妊娠中でそんなに動けない。

実家では両親が趣味のバラを始め、家庭菜園や色々な植物を育てていて、その世話を一挙に任されている父が、わが家の庭仕事を買ってでてくれた。

父は、あれよあれよというまにブルーベリーの苗を買ってきて、土壌をブルーベリー好みに改良し、植えつけた。

そのほか、私の好きな紫陽花やすずらん、これまた実をつけるブラックベリーなども次々と植えられた。(数年後、ブラックベリーは勢いが旺盛すぎて制御しきれず、撤収された。)

「庭にバラがあるって素敵だよね〜」

と私がポツリと言ったのを聞き捨てなかった母が、実家で育てているバラのうち2種類ほどをわが家に持ち込んだ。

ただのサラリーマンだが、父はつくづく器用貧乏である。母の指示のもとフェンスを作り、バラを植えた。

さらに、バラは誘引や消毒など手がかかる。

長男が生まれ、植物よりも人間の子どもを育てることで手一杯になった私に代わり、両親は事あるごとに、季節ごとに、わが家を訪れ、孫と遊び、庭の手入れをした。

私と夫は、水やりだけはちゃんとやった。

3年ほど経ち、ようやくブルーベリーもまともに収穫できるようになっていった。

その後、二男、三男が生まれ、てんやわんやの現在にいたる。


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思えば、ブルーベリーもバラも、両親が仕掛けた小さな策略だったのかもしれない。

変に独立心が強く、頼ることの下手な娘が、慣れない子育てでつぶれてしまうのを防ぐために。

庭の手入れを理由に、孫の顔をいつでも見に行けるように。

「そろそろバラの手入れをしにいこうと思うんだよね」

両親がわが家に来る時の理由は、だいたいそんな感じ。

今回も、バラの手入れをしに来てくれたのだけど、ブルーベリーが実りだしたので、バラの消毒はやめておいたと父が笑いながら言った。


「実家の近くに住んでほしい。」

勇気をだして伝えてくれた父の思いに応えられなかったことが、ずっと心の中に小さなトゲになってささっていた。

だから長いこと、子育てで大変なときでも自分から実家に頼ることができなかった。

「子育ては大変なんだから!ほーら、言わんこっちゃない」と思われるのがこわかったのだ。

だけどやっぱり、大変なもんは大変で…二男が保育園に通い出した頃から、次第に頼らざるをえなくなってきた。

子どもたちが順番に熱をだし、1週間近く保育園を休んだとき、繁忙期で仕事を休みにくかった私は思い切って実家に応援要請した。

母はまだ仕事をもっているので、定年退職した父が車を飛ばして孫の世話にきてくれた。

「だから言わんこっちゃない」なんてひと言も言われなかった。


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収穫したブルーベリーは、生で食べたり、ジャムにしたりしてみんなでいただく。

なんとなく、ジャムといえば丁寧な手仕事のようなイメージがあるから申し訳ないんだけれど、時間がないので電子レンジでちゃちゃっと作る。

こんな感じで、超絶簡単。

①ブルーベリーを耐熱容器に入れる。

②これに、砂糖小さじ2くらいお好みでふりかけて、様子をみながらレンジで2分ほど。

これなら少量でもすぐできる。


さてさて、ブルーベリーといえば、ヨーグルト。

ほかのベリーと合わせたり、とろりとした蜂蜜と一緒に、私はあえて混ぜすぎず、ざっくりと甘みと酸味の濃淡を味わうのが好き。


◻︎手作りジャムに生ブルーベリー添え(基本)


◻︎生ブルーベリーと冷凍ラズベリー、蜂蜜とちょっと余った生クリームも入れたバージョン


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早起きできた朝は、キッチンの勝手口から庭に出て、ブルーベリー狩りに興じる。

全部とってしまうと、

「僕もとりたかったー!」

と息子たちがふくれるので、子どもたちにもとりやすい下の方のは残しておく。

上の方のは腹ペコの野鳥たちと競争だから、熟したやつはなるべくとっておきたい。


まだ冷んやりした朝の空気が心地よく、のぼってきた朝日が暖かいピンク色で世界を染め始めている。

私はせまい庭でひとり、植物に囲まれるしあわせと、ちょっとしめっぽい土の匂いに酔いしれる。


…なぁんだ。

私、やっぱり、なんだかんだいって緑や土が好きなんだ。


刺激がないなんていって出てきたふるさと。

両親や祖父母の顔が脳裏にちらついて、ちょっとだけ胸のトゲが痛むこともある。それは、バラのトゲよりも、もっともっと優しいトゲだ。

私はここで、夫と子どもたちと生きていくと決めたから。

疲れたり、調子が悪い時は、誰かによりかかってもいい。意地ははらずに、でも、胸をはって。

優しいトゲは刺さったままで、もう少し、自分で決めた道を歩いてみようと思う。

ブルーベリーの実る頃、私はいつも器用で優しい父を思い出すのだろう。


ブルーベリーの、ちょっと赤い、すっぱいやつが

「お前もまだまだ時期早尚!」

と笑った気がした。


さて、そろそろ息子たち、起きてくるかな。

今朝もブルーベリーヨーグルトを朝食に。

専属庭師に感謝を込めつつ。

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