こうもりあそびばの春
(※2013年3月のブログ記事の転載です。一部改変しています。)
こうもりあそびば(こうもり広場)には、季節変化があるなぁと感じています。
冬の寒い時期は、人数は少なめです。私一人で遊んでいることもあります。
こうもりあそびばは、基本的にこうもり(私)の遊ぶ場なので、一人でいる時間もそれはそれでいいのです。
一方、暖かくなると子どもの人数は徐々に増えて、夏頃にはスペースに収まり切らない人数になることもあります。
そうなると、どこからどこまでがこうもりあそびばに来ている子どもで、どこからがただ近所で遊んでいる子どもなのか、もはや区別がつきません。
いや、どちらもただ近所で遊んでいる子どもには違いないのですが。
人数の変化は、同時に質的な変化も伴います。
多人数になると、にぎやかで楽しい反面、子ども同士のいざこざも増えてきます。
そして、地域の人や車との関係にも、気を遣うことが増えてきます。
少人数になると、人見知りだったり、他者との関係で傷ついた経験のある子どもだったり、何らかの「障害」とされている子どもだったり、多様な子どもが来やすくなります。
じっくりと関係を育める面白さがある反面、難しさもあります。
春は移行の季節。
冬に来るようになった子どものなかには、人数が増えてきて、変化についていけない子どもも出てきます。
逆に、人数が増えて、新たに来るようになる子どももいます。
こうもりあそびばは、来ても来なくてもいい場所です。
入学や卒業はありませんが、春は出会いと別れの季節なんだと感じます。
子どもの居場所や遊び場に関する活動って、人数が評価の対象になりがちです。
でも、人数の多い少ないは、質的な変化を伴うもの。
いたずらに規模を大きく、人数を多くすればいいというものではありません。
小さい場所、少人数の場所には、そこならではの良さがあると私は感じています。
ところで、こうもりあそびばのような「私の遊び」を「開く」活動のことを、「あそびらき」と名付けてはどうかと思っています。
(アサダワタルさんの提唱する「住み開き」という言葉をヒントにしています。)
一般化した言葉を使うことで、新たな展開の可能性が拓けるように思います。
多様な形態の「あそびらき」が広がってほしいと思っています。
最近は、時間や場所にとらわれない新しい働き方が話題になっています。
新しい働き方と「あそびらき」の活動は、きっと親和性があります。
多様な「あそびらき」が広がれば、それだけ多様な子どもにとって、居場所が広がることになります。
いや、子どもだけでなく、お年寄りが集まる「あそびらき」だってあり得ます。
「あそびらき」には、色んな可能性が込められています。
でもそれは本来、特別なことではなく、時代や地域によっては自然に存在している(いた)ものだと考えています。
こうもりあそびばは自己資金で平日の夕方に毎日開けていましたが、子育てが中心になってきて、現在はほぼ休止状態。今後のサポートは、執筆活動の諸費用(取材の費用、冊子『小さな脱線』の制作など)に充てます。少額でも非常にうれしく、助かります。