2009年、当時の花形SNSミクシィで活動開始【まいまい京都history①】

いくつもの「はじまり」があった

「まいまい京都」の始まりはいつか、という問いには、いくつかの答えがある。

WEBサイトをつくってツアー予定を公開したという意味なら、2011年3月、ガイドさん23名、スタッフ2名で始まった、全31コースの「まいまい京都2011春」だ。

具体的な構想がという意味なら、2010年7月に、京都ユースホステル協会の佐藤さんと私が出会ったのが始まりとなる。佐藤さんは当時ユースホステル協会の事業部長で、いくつかのツアーをすでに実施していた。京都市考古資料館の貴賓室で行われた会議で同席し、まち歩きイベントの構想で盛り上がり、そこからどんどん計画が動き始めた。

ミクシィとTwitterがSNSの双璧だった時代

しかし、それらに先立って、SNSや口コミでゲリラ的に実施していた、いわば先史時代がある。

主な活動場所は、当時SNSの花形だったミクシィとTwitterだ。SNSという言葉がいよいよ一般的になり、Twitterも日本で火がつきはじめた頃。当時最大手だったミクシィも、最初は個人ブログの感覚で始めた人が多かったのではないだろうか。

だがミクシィにはブログとは大きく違う点があった。コミュニケーションスペースとして、趣味の仲間がグループを形成し、サークル活動のようなことをする場でもあるという点で、個人個人の情報発信を主とするブログとは一線を画していた。

初めて開催したツアーは、どこだったのか?

私達もそこにコミュニティページをつくっていた。開設は2009年10月22日。記録にある最初のまち歩きは、2009年11月13日だ。「まち歩きプレイベント第二回」として「太秦・大映通り商店街〜花の撮影現場〜」と題し、コミュニティ内で参加者を募って開催している。

翌月、12月13日には第三回目「幕末最後の激動の街 京都木屋町を往く〜龍馬の足跡を追って〜」を開催。夕方17時からスタートし、終了後はみんなで食事会に行く企画だった。

この頃はまだ、現在のような「スペシャリストと歩く」というコンセプトは生まれていない。ただただ、テーマを立てて、まち歩きするのが楽しかった。

結局、初めて開催したツアーは、どこだったのか? 記憶にも記録にもない。こうなると、もう私にはお手上げだ。もし誰かわかる人がいるなら、教えてほしい。

「まいまい京都」の誕生

「まいまい京都」という名前もこの時期に生まれた。メーリングリストやコミュニケーションの履歴をたどると、プレイベントの開催と平行して、企画も急ピッチで進めていたことがわかる。

二回目と三回目の間、11月17日に「まいまい京都」という名前案が出ている。“まいまい”とは「うろうろする」という京ことば。そこに「わたしの」「いつもの」などの意味も重ねて、名前はすんなり決定した。「まいまい京都」の誕生である。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?