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乳がん、からだよりこころがつらい その2--泣きたいときもありますよ

こんばんは。乳がん闘病中のまいです。

東京もんて(戻って)きたけど、出かける体力も気力もなく、今日は一日引きこもり。出かけないとそんなに疲れないから身体つらくない。どっちがえ~んかなぁ。出かけて疲れてぐっすり眠るんと、出かけないから疲れないであんまり眠れんのと。

今日は納豆を混ぜてる時に傷口が痛くて、「この程度で」と思わず苦笑。低気圧のせいもあるかもしれんけど。利き手側やから、結構日常生活でぽろぽろ痛い時があるんです。我慢できる痛さやから、痛くてもやるけど。


さて。

東京で久しぶりの一人暮らし、時間がようけ(たくさん)あるんでいろいろ考えます。考えるなっちゅうんが無理な話で。

昨日は久しぶりに号泣しました。初めてB病院を受診した日以来。声をあげて泣くのは。

つらくて。何がつらいかって話ですね。

読む人によっては、これを読んでつらい想いが増したり、不快に思うこともあるかもしれん。けど。今の私の事実を、嘘偽りなく、記しておきたいけん。書きます。


右胸がないことがつらい

シンプルに、そういうことです。まず、一番。

これが身体の他の部位であったとしても、やっぱり悲しくてつらいやろ。

できるだけ考えんようにして生活してても、着替える時、お風呂に入る時、まざまざと現実を見せつけられるわけです。

今日みたいにお天気悪い日は、ズキズキ痛む。その痛みが主張する。なくなった、って事実を。


少しずつ慣れてくし、いつかは乗り越えて平気になるはず。痛みもいつかはなくなる。

でも今はまだ無理。つらい。


これは、手術せんかったら良かった、手術が嫌だったとかいう話ではなくて。

自分の命を救うために、切除するしかなかったってことは、十分理解してる。手術以外の方法はなかったってことも分かってる。

それとこれとは別の話で。

ここに至るまで、この3か月間、その場その場で最善と思われる選択をしてきた。それは納得済み。

でも。

その選択をすることと、完全に受け入れるのとは、別。

まだ、私のこころはその事実を受け入れきれてない。

あっという間にその時が来て、気付いたらキレイに右胸はなくなっていたわけですが。しばらくは直視できんかったし、やっと直視して、さわれるようになってきて、実感が伴ってくるわけです。

ここで、やっと。


そっか、私は右胸を失ったんじゃ。


選択と決断のためにどっかで麻痺させてたこころが、少しずつ感覚を取り戻していく。麻痺させておかな、乗り切ることはできんかった。見えないふりをせんかったら、ここまでくることはできんかった。


時間がたって、やっと、気付く。

あぁ、もう二度と戻ることはないんやな、って。


別の選択肢があったんかもしれん。けど。

私は最善の選択をしたって、信じてる。命を救うために。

それでもなお、つらい。これが選択の結果であったとしても。自分を助けるための道であったとしても。

それと、こころがつらいんとは、別物。

頭では理解してても、こころがまだ受け入れられてない。


そんな時でも、必死に考えんようにしてる。

「なんで、私はがんになった?」

これだけは、考えんようにしてる。考えたってしゃーないけん。

病気になった事実は変えることはできないし、こんなにつらい想いして手術しても、治らない。10年という歳月がのしかかってくる。


いつかは身体も元気になるし、こころも乗り越えられる。

それも分かってる。私はきっと、人より早く乗り越えられるはず。

それでもなお、つらい。

今は。

声をあげて泣きたい。

つらいって事実を受け入れるために。


淡々と決断をしてきた、その時は、つらさを直視したら立ち直ることができんくらいダメージが大きかったかも。

だから、見えないふりをして前に進んできた。


今、この先を私らしく生きるために。

つらい、って噛みしめておかなあかんのやと思う。平気なふりをするんじゃなくて。

って、静かに泣きながら、今これを書いてます。今日は、ただ、静かに。涙が流れるに任せて。ほなって、つらいんやもん。それは、動かしようのない、私の、事実。他の誰のものでもない、私の。


身体が動かんことがつらい

これで体力や気力があれば、少しはましなはず。

東京にせっかく戻ってきたのに、何もやる気にならん状況がつらい。

何かに没頭できていれば、少しは忘れられるのに。

食欲があれば、何かを食べておいしいって思うのに。

お酒を飲みたいって思えれば、少しは気持ちよくなれるのに。

どこかに出かけたいって思えたら、気晴らしになるのに。


具体的にどうっていうよりも、たぶん、体力がない。だから動くと疲れる。だから動きたくない。そしたら体力は戻らない。悪循環。


時間がかかることは分かってる。焦るなというのも分かる。

それでも、何もできない時間は、考えなくてもいいことを私に考えさせる。

何もできない時間が私は病気なんだということを突き付けてくる。

手術前は、あんなに元気だったのに(笑)

がんが身体にあっても、元気だったのに。。

手術や治療で具合が悪くなる。

仕方のないプロセスだということは、頭では理解しとるん。

それでも、なんともやるせない。

身体の不調を治す、取り去るのが治療だと思ってた。

治療の過程で、治療をした方がむしろ不調になる。

このパラドックスをこころが受け入れきれていない。

やっぱり、どこかで、体調悪くなかったんやから、あのまま手術せんでもよかったんでないの、って思っとるところがあるんやろか。

そんなことは、ないんですけどね。がんって、そういう病気やから。それはよぅ分かっとるん。


少しでも、身体の痛みがとれて、動いても大丈夫じゃってなってくれば、気持ちも前向きになるはず。

からだとこころは連動しとるから。

からだが楽になれば、今のこころのつらさも少しは軽減されるはず。


我慢しちゃう性格がつらい

痛いんは痛いって言ったほうがえぇって言うんは今回よく分かったから、痛いときは痛いって言いますけど。

気持ちがつらいとき、我慢しちゃう癖がついてる。

相手に余計な心配や負担をかけんように。


今回、いろんな人に話してみて、いろいろ感じたん。

相手にとって、話されることが嬉しい場合と、負担になる場合とあるんやなって。

それは自分と相手との関係性次第なんかもしれんけど。

相手の負担になりたくない。それで、嫌われたくない。

そういう気持ちが強いん。

だから、しんどいことやつらいことは自分の中だけに留めておく。

自分ひとりで解決できるわけもなくて、結局誰かのお世話になることになるのになぁ。


もう少し、人を頼れるようになるための、一つのきっかけ。

そうやって捉えたらえーんでないの?と言ってくれる人がいる。

うん。私も、そう思う。

ほなって、一人じゃ抱えきれんもん。

病気になったことも、手術をしたことも、痛い思いようけしたことも、卵子の凍結保存をしたことも、これから治療が続くことも、全部一人じゃ抱えきれん。誰かに支えてもらわんと、生きてけんって、今ほど強く感じたことはない。

今は、無理。前向きな気持ちになることも、明るい未来を想像することも。動かん身体を抱えとって、今は、無理。

そのうち乗り越えて、できるようになるってことは分かっとっても。

今は我慢せんと、「無理」って言っとく。



だから、無理やり、私を元気にしようとせんといてください。励まそうとせんといてください。

そしたら、それに応えて、きっと私は平気な振りをする。

つらい想いを隠さんことが、今の自分に必要なんやと思うから。

できれば、一緒に、「そうだね、つらいんだよね」って、話を聞いてやってください。話してるうちに、だんだんつらさが薄れていきます。そういうもんなんじゃってことが、少しずつ、分かってきたから。

少しずつ、つらさを凌ぐ術が分かってきたから。

経験したことがない人につらさを共有してもらうことはできんけど。

時間を共有することで、軽くなる何かがあるっていうのが分かってきたから。

負担じゃなければ、私と時間を共有してやってください。

それで、きっと、救われる何かがあるはず。

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