選択肢を探すことで、視界をすこし広げる
こんな記事を読みました。
こんな記事を書きました。
歴史上の人物という極端な例と自分を比較することで、自分をより詳しく知ることができます。
比較は理解することを助けてくれるのです。
あるいは正反対な考え方を持つ人との比較も有効です。
冒頭のリンク記事と同じように、わたしも妻とは似ている面もあり、真逆な面もあります。
こうした極端なちがい、あるいは正反対なこと、こうした違いを比較してみると、自分の根本が揺さぶられます。
自分がもしベジタリアンだと仮定して、「野菜の中で何を食べるか?」みたいな世界観で生きてきたとして。
そこに「お肉はなんで食べないの?」「魚は?」「キノコは野菜ですか?」みたいな揺さぶりがくるわけです。
こうして世界観が揺さぶられるとき、おもしろいと思うこともあれば自分を守るために防御反応がでることもあります
その防御反応の一つがいらだちです。
ではなんでイライラするのかと考えると、一つの理由は「揺さぶられること=否定されている」と考えてしまうからではないかと思うのです。
少し話は変わりますが、こどもが「野菜を食べたくない!」と徹底的に嫌がるときがあります。
こうしたときにイライラする理由は、「野菜が嫌 → 料理が嫌 → 料理に対する努力、野菜を食べた方が健康的であるという思いやりが否定された」みたいな思考が頭の中で勝手に展開されているのだと思うのです。
この思考に気づいて「野菜が嫌なことと、わたしを否定することはイコールではない」と考えられると、案外イライラしません。
では、このいつの間に展開されている思考にどう気づくか?
それは自分を客観視することです。
なぜ自分はいらいらしているのか?
それを考えることです。
そのための1つの方法として、別の選択肢を探すことが大事だと思います。
野菜が嫌 → こちらの否定
ではなく、
野菜が嫌 → こちらの否定 or この野菜が嫌い or 眠いだけ
こうして選択肢からどれを選ぶか考える、その時点ですでに余裕、すき間、バッファーがうまれます。
選択肢が見えている時点ですこし俯瞰的に客観視できているのです
そして選択肢があることに気づくひとつの方法が、自分のあたりまえを揺さぶられることだと思うのです。
そのためには歴史を学んでみたり、日記で自分を客観的に見てみたり、正反対な人と話してみたり、いろいろな方法があると思います。
それは自分を揺さぶり、否定するものと感じるかもしれません。しかし、そこで他の選択肢はないか、考えてみてください。
きっと視界が広がるはずです。
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