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国語の教科書を、もっと気持ちを込めて読みたかった自分がいる。

『子どもの頃気持ちを込めて国語の教科書を読んで、からかわれたんだ。』

友だちがわたしにこの話をしてくれた時、今の自分の気持ちを、その当時の友だちに伝えたいなと思った。

わたしは結構な自意識出まくりタイプで恥ずかしがりーで、
子どもの頃に気持ちを込めて教科書を読むことができなかった。
当時のわたしにとって、それは恥ずかしく感じることだったから。
(気持ちを込めた読み方をしたら笑われるんだ)というのも、低学年の頃から少しずつ知っていたこともあると思う。
だからなぜか、極端な棒読みで読んでいた覚えがある。

でも本当は、気持ちを込めて読みたかった。
国語の教科書に載っていた『ごんぎつね』を読んで本当に悲しくなって、家に帰ってから、ラストの主人公がごんのやさしさに気づいて悲しむ部分を気持ちを込めてひとり音読したりしていた。
でも、学校に行くと出来なかった。恥ずかしくて。

本当は、家でひとりで読んだ時のように読みたかった。
もっと上手に読めるのに。
もっとこのお話の登場人物になりきって読むことが出来るのに。
心の中でそう思い続けた。

クラスで必ずひとりくらい、気持ちを込めて読める子がいた。
わたしはその子が羨ましかった。
棒読みで、周りから浮かないように必死で、わざとお話に興味のないふりをしているわたしには、とにかくその子が眩しかった。
クスクスと笑う人がいても、自分の読みたいように読んでいるその子をみて悔しかった。

いいな、羨ましいな。わたしもやってみようかな。

なんども心の中でそう思っては出来なかった。
わたしの声は、平坦に文章を読み続けた。
羨んだ子にも、何も声をかけられなかった。かっこいいね、素敵だね、うらやましいな。
全部心に浮かんでいたのに、何も言えなかった。

当時のわたしが今回のことを話してくれた友だちと同級生だったとしても
きっとあの頃では声をかけられなかったと思う。

だから今、33才のわたしから、ずっと言えずにいた言葉たちを、小学生の頃の友だちに伝えたい。

あなたはかっこいい。
あなたの読み方が素敵。
わたしはあなたが羨ましいな。
わたしもあなたみたいに読んでみたいな。

当時の彼女が読み終えたことをイメージして、今、心の中で大きめに拍手をしている。

そしてこれを書いていたら、この言葉をもしあの頃口に出していたら、わたしはきっと、気持ちを込めて本を読めた気がして泣けてきた。

彼女の中のあの頃の彼女へ、そして、あの頃のわたしへ。

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