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編集者とは名乗れないけど、それでいいやと思った話。

社会人になって10年間、小学生向けの教材や情報誌の編集をしていた。
そしてビジネス系出版社に転職し、受託で本や社史をつくる編集。一貫して、「編集」に携わってきた。
にもかかわらず、「なんの仕事しているの?」と聞かれたときに、「編集者」と答えられない自分がいる。
ごまかしながら、「編集系の仕事をしている」と答えてしまう。
どこが違うの?と思うかもしれないが、「者」と名乗るかどうかは大きな違いである。

いつから編集者を目指していたのか?

就職活動のとき、目指していたのはラジオ局で制作にかかわることだった。中学生の頃聴き始めたオールナイトニッポンが自分の人生の居場所をひとつ増やしてくれた。それはとても大きなことで、思春期の自分を支えてくれたラジオで、今度は誰かの思春期を支えたいと思っていた。

いま思えば、本気でそれがやりたいなら全国津々浦々のラジオ局を受けるべきだっただろう。ただ、そんな覚悟もなく在京の大手だけを受けて、案の定全部落ちた。
結果的に、たまたま受けていた「チームでモノづくりができそう」な会社、通信教育の会社に入社することになったのである。

「たまたま入社した」なんて言うと多方面からお叱りを受けそうだけど、その会社での仕事に誇りを持っているいまだから堂々と言える。大学時代、「教育」のことなんて考えたことがなかったわたしが、先輩たちの仕事に魅せられて、いつの間にかがむしゃらな社会人生活を送るようになっていた。

小学4年生に会い、会社に戻ってその子を思い浮かべながら「こんなページがあったら喜ぶかな」「こんなメッセージを届けたいな」と考えるその仕事は、好きな人へプレゼントを渡すような仕事だ。どんなものがいいか、それはどう渡したらいいか、いつ渡すのがいいか……。

そして少しでも自分本位なコピーを書こうものなら「それは自分のメリットであって子どものメリットじゃないよね」とピシャリとしてくれる熱い先輩がいて、「ああ、教育とビジネスってどうなんだろうと思っていたけど、この先輩たちは本気だ」と思うことができて、安心して理想を追い求めることができた。もちろん、綺麗なことばかりじゃないし、誰かを悲しませたこともある。社内には優秀な人が多くて、自分には厳しいなと落ち込むこともあった。それでも、自分なりに良心を大事にしながら働くことができる、とてもとても恵まれた環境だった。

10年経って、不安になった

圧倒的やりがいがありながらも、自分の将来を考えたときに不安になることが増えてきた。
通信教育というのは、「先にお金をいただいて届ける」ことを意味する。信頼していただいたお客様に、信頼を裏切らないように届けなければいけない。
そして、子どもに届けるということは、まだ「立場の少ない人(自分自身で選んだ環境ではない)」に届けるということであり、その子の将来にかかわること。
とてもとても責任のあることで、教材の編集ほど校了で胃がキリキリすることはないのではないかと、いまでも思う。

何者でもないわたしだったけど、その責任感にどんどん辛くなっていたのかもしれない。
また、「編集者として生きていくなら、ほかのジャンルも知らないと」「市場にオープンな編集もやってみたい」そんな思いで転職をすることになった。そのときの転職の軸は「編集者でいられるか?」である。
編集者を目指したことのなかったわたしが、いつの間にか編集者を目指していたのはこの頃かもしれない。

大事なのは、「テーマ」だった。

転職した会社では初めて書籍の編集を経験したり、BtoBの仕事を多く経験して、本当に勉強になった。
でも、ひとつだけずっと心に引っかかっていることがあった。

1社目を退職してから初めて、街で小学生を見かけた時のこと。初めての感情が湧いた。


「あ、わたしはもう、あの子にかかわることが一生ないんだな」

おうちの人からしたら、恐怖に感じるかもしれないがどうか怖がらないでほしい。
辞めてから気付いたのだけど、勝手に「全国の小学生の関係者きどり」で10年間仕事をしていたことに気付いた瞬間だった。
毎日子育てに勤しむご家庭のかたや、直接子どもに対峙している学校関係者のかたからしたら、「お前ごときが何を」と思うかもしれないけれど、個人の気持ちの問題だからどうか許してほしい。
街で子どもを見かけては関係者のような気持ちで見守り、あの子はどんな教材があったら喜ぶかなと自然と考えていた10年間は、本当に幸せな仕事をさせてもらっていたんだなと自覚できた。そして、退職した同僚と話すと皆同じことを言っていて、自分だけじゃなくて皆がそんな気持ちでいられた環境にも尊敬の念を抱いた。

かといって、転職を後悔したり、1社目に戻りたいと思うことはなかった。
2社目での経験を通して、ちゃんと前に進んでいる実感もあったから。教育にかかわるなら、何か新しい形を模索しなくちゃいけない。


ここで重要なのは、わたしは「編集者になりたい」と思い込んでいたけど、大事なのはそこじゃないんじゃないかということ。
自分が自然と取り組みたいと思える「テーマ」をおろそかにしちゃいけない。たまたま入社した会社だったけど、自分にとってかけがえのないテーマになっていた「教育」。「子どもに届ける」ことから遠ざかってはいけないのかもしれない。そう気付いたのは大きな一歩だった。

それに気付いてから、あらためて自分の仕事を振り返った。通信教育の編集は、紙媒体だけじゃなく、Webや動画、付録、ギミック、イベントなど形はさまざまで、どれも楽しかったと思い出す。
自分にとって大事なのは「誰に何を届けるか」で、「市販」とか「紙」じゃないと、今度は自信を持って自覚できた。(紙媒体は好きです)

そして第三の道へ


そして、新しい一歩を踏み出す決断ができて、3社目へと歩みを進めることになった。
1月16日付でピースオブケイクに入社し、noteのカテゴリーディレクター(公共・教育)としてスタートを切ったところだ。


なぜnote?教育?え、公共?と思われるかもしれないけれど、自分にとっては筋が通った選択をしたつもり。
ただ、まだnoteで何も成し遂げていないので言葉にしきれず。後日、入社の経緯なども書きたいなと思います。


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ピースオブケイクという会社でnoteディレクター(公共・教育カテゴリー)をしています。

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