男性性、マジョリティ特権について考えた日
久しぶりにゆっくり京都に行く日。
友達のシェアで知った男性学のセミナーの開催場所が京大だったので、参加がてら誕生日祝いの名目で、一人で満喫しようと楽しみにしていた。
研究者の人たちが登壇するイベントはたぶん初めてで少し緊張していた。
一般人でも女性でも参加していいとのことで、実際会場の3~4割くらいが女性っぽかった。
レジュメや講義室、参加者の雰囲気で大学時代を思い出して懐かしくなった。
質問をする人の中に、いくら「コンパクトに」と言われてもやたら長いこと少しずれる感じの持論を長いこと展開する人がいる感じも。(私が理解できていないだけだったり、これはこれで意義があるのかもしれないけど)
でも私自身話を聞きながらいろいろ思うことがあって、最後の感想共有の時間に同じ班の人に対して自分が言いたいことばかり喋ってしまった気がして、後から恥ずかしくなった。同族嫌悪かい。
ずっと時間がおしてたし、参加者をうまくコントロールするのは難しいから、「議論の場」をちゃんと作るのって、運営をかなり工夫しないと難しいんだろう。
どうにかしてうまくできないものかとむずむずした。そういうのもそのうち勉強してみたい。
セミナーの前半は「男性特権とは何か」が主題だった。
(「男性”性”特権」という表現の方がより正確だし適切かもしれない、という結論にまとまりそうだった)
男性特権に限らず「マジョリティ特権」による不平等をどうしたらいいかに興味がある私としては、個別の特権(男性、健常者、白人、などいろいろ)に分けて話しても、問題の解決にはつながらない気がした。
それよりも、「特権が生じる社会構造においてほとんどの人が何かしらの側面では弱者になっている」点で共感・連帯し、マイノリティ側が特権に屈しない力をつけることで特権構造自体を瓦解させる方法を考えたらいいんじゃないかと思っている。
マジョリティ特権自体は、構造とか歴史によってどうしても勝手に生まれるものだし、それを持つ人を責めたり反省を促すと変にこじれてしまって、かえって解決につながらない気がする。
生じてしまう特権は、制度で「配慮」と「濫用の取り締まり」を強化し、個人単位では「濫用に抵抗する力」をつけるための支え合いができるようになればいいんじゃないか。
特に私は草の根でできそうなことに関心があるので、後者の具体的な方法として、アサーションの概念・技法を学んで実践し、励まし合うコミュニティが生まれれば、マジョリティの圧に屈しない力を持てる人が増えて特権自体が薄れていくんじゃないかと思っている。
ただ、私が考えつくくらいだから、すでに誰かしらが似たようなことを提唱するか、問題点についての議論があるんだと思う。それを知りたい。